藍生ロゴ藍生7月 選評と鑑賞  黒田杏子


椿落つ濡れたるやうな音たてて

(東京都)小松 勢津子

 椿の落ちる音、大地を打つように落下するその音を聴きとめている。その音が印象的であった場所もいくつも覚えている。この句に出合ったとき、京都の大徳寺真珠庵の墓地に佇っていた時間がありありとよみがえってきたりした。一休宗純ゆかりの塔頭であるが、村田珠光や世阿弥の墓などもある。この句、手の心のファイルに保存されている落椿体験をぐいととり出す鮮烈な力を蔵している。



かたかごや我に故郷のあるごとく

(埼玉県)寺澤 慶信
 故郷のあるごとく、そんな心地を覚えた作者の心の表情が見えてくる。うつむいてかすかな風に揺れる片栗の花に出合い、そのほとりに身を置いている甘美な時間。我に故郷なしと書かずに、このような言いまわしがごくナイーブに出てきた、その感じがこの句を忘れがたいものにしているのだと思う。



老人のかき消えてゐる桜かな
(東京都)磯辺 まさる
 この老人は男性である。少年でも山姥でもこのようなスピード感は出ない。その年老いた男性はともかく居なくなってしまったのだ。身を投げたのかも知れないし、連れ去られてしまったのかも知れない。かき消えてゐるという日本語と桜は実によく合う。他の花の木ではどうにもならない。桜の精の翁かも知れないし、ごく普通の年とった市民でもよい。かき消える、がこの句のキーワードだ。


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