藍生ロゴ藍生5月 選評と鑑賞  黒田杏子


永らへてバレンタインの贈り物

(東京都)村田 英尾

 正しくはバレンタインの日、もしくはバレンタインデーと詠むべきであろう。しかし、この句の場合はこのままでいいと思う。大勢の人々に敬愛されていた英尾先生、その贈り物は年ごとに数を増し、華やぎを加えていた。宵節句の三月二日、眠るがごとく安らかに帰天された。「医は仁術」という言葉を先生ほど徹底された医師がこの世におられるであろうか。老若男女、あらゆる病める者をわけへだてなくお守り下さった。先生の生き方を想うとき、村田友常ドクターこそ聖者でいらしたと。あの含羞に満ちた、ダンデイーかつスマートな風貌とたたずまい。永らへての上五のお優しさ。こんな床しい一句を私達に遺されて帰雁の列にすっとまぎれてお発ちになられた先生。句縁を得てお人柄にじかに接することの出来た僥倖を励みとして生きてゆきたい。



節分や弱き者にも鬼の棲み

(青森県)山本 けんゐち
 けんゐちさんの句としてこの句に対するとき、自分の句の浅さを思い知る。難病棟に寝たきりの長い長い歳月。人の助けを借りて車椅子での外出も可能ではあるが、弱き者であることはご自身がいちばんよく知っていることである。弱き我にも鬼の棲むと、これは俳人山本けんゐちの宣言である。そこをしっかりと受けとめたいと思う。



蠅の子の障子にあたる音なりし
(東京都)安達 潔
 作者のこころは、一茶に通じるのではないか。蠅が障子にぶつかれば、ちょっとうるさい。憎らしい。しかし、作者が聴きとめ、そしてその眼で確認できたのは生まれたばかりのみずみずしい子蠅。音もかすかであったろう。作者はしばしその蠅の子と同じに在るいのちの空間を愉しみ、安らいだのだと思う。


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