藍生ロゴ藍生10月 選評と鑑賞  黒田杏子


ほととぎすわがくらがりを穿つこゑ
        
(長崎県)御厨 和子
 ほととぎすを詠んだ句は多いが、この作品は凡百の例句の中に置いて、いよいよ存在感を明確にする力を持っていると思う。わがくらがりに響くのではない。穿つのである。中村祐治さんが長崎で教師をされていた時代の教え子であった御厨さん。いまは共に「藍生」に籍を置く句友でもある。長崎大会で隣り合う席に座を占められたおふたりの愉しそうな表情、印象的であった。



坂の家少女密かに水を打つ
(長野県)熊谷 一彦
 この句に立ちどまったのは何故だろう。その水を打つ少女の姿を単なる描写で済ましていない。作者の物の見方と、その鋭敏な感性、過不足のない言葉づかいの故にであろう。つまり、その少女が密かに・・・というところをごくあたり前のように、さりげなく、一行の内に置いてあるその力量の故にである。私たちは、絶え間なくさまざまの情景に出合っているが、このように心までを見抜くことはなかなか出来ない。



たった一度の死を生きて
(東京都)藤井 正幸
 七年間土中に生き、地上に這い上がって暮す日数はごく限られたものである蝉の生涯を私達は幼いときからよく知っている。この句、おそらく作者の代表句となるだろう。すべての生きものはたった一度の死を生きるのであると知らされる。油蝉も動かない。他のどんな蝉を置いてもこの句、ここまでの完成度に達することはない。堂々たる句である。



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