藍生ロゴ藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


長崎も螢の夜となりにけり
        
(東京都)中村 祐治
 作者にとって長崎は思いのこもる場所、それ故に、この長崎なる地名は一行の中にゆるぎない地位を得て、独特の「気」を発している。ぜんこくのつどいの折に長崎に帰った作者は、昔、その地に暮らしていた頃には想像もしなかった老年を迎え、俳句作者となっていた。そればかりか、四国の札所道千四百キロを歩き通した記録を保持する人間となっていた。長崎在住の頃の暮らしの場面もさまざまに想われたことであろう。走馬燈のようにかけめぐる記憶の断片を、螢の夜となりにけりと詠み捨てる軽やかなまなざし。説明や解説とは無縁の句作で自己をみつめ、俳句で自己を表現し得る人生を手にしつつある。



砂浜に墓群かたまる梅雨の月
(東京都)安達 潔
 たまたまそういう情景に出合ったという風に詠まれている。事実そのようにして成った句かも知れない。しかし、一句の景は完璧に作者の美意識によって再構築されている。砂浜・墓群・梅雨の月。三つのキーワードは作者の選びとったもの、その組み合わせである。梅雨の月は動かない。その月の光は作者の祷りの心に沁みるのであろう。



梶の葉にひととき夏至の雨の音
(東京都)今野 志津子
 さきの安達氏の作品に共通するものがある。夏至の雨の音を聴きとめたという。その雨は梶の葉を打っているのであると。梶の葉は地上に在るが、七夕のいわれなどで天上を想わせる。夏の雨音では弱いが、夏至のとはっきり言い切ったことで、一句の凝縮度は俄然高まった。一語一語が立ち上がってくる。



8月へ
10月へ
戻る戻る