藍生ロゴ 「藍生」2月号−2 選評と鑑賞  黒田杏子


声あげて月に居場所を知らせけり
(京都府)植田 珠実
 たのしい句であろうか。いや哀しい句かも知れない。自分自身の存在を月に告げているのである。人間に、家族や友人、仲間に告げているのではない。いつも人の中で朗らかに笑顔を見せている人である。それ故にこの句は、主婦という中年の女性の真実の叫びとも受けとれる。この人に俳句があってよかった。しかし、この句以後の珠実俳句は胸突き八丁にさしかかる。そんなことは十二分に知り尽くしている作者であろうが。



日だまりを蝶の出でゆく枯野かな
(東京都)安達 潔
 句の完成度としては、巻頭の句よりもこちらの句に優位が与えられてよい。しかし、この句はあまりに巧く出来ている。それは定型と枯野という季語の恩寵によって、これ以上まとめられないほどよく出来た句になっている。私はそこに問題点を見出す。公募の俳句大会の作品や、新聞・雑誌の俳壇欄に投句される不特定多数の作者の句であればいざ知らず、安達潔という作家の実在を結社の連衆として、それなりに了解している。しかし、立派な句である。こういう句を十句揃えることが出来れば、その作品群そのものが安達潔その人として安心して眺められるのである。



鳥渡る何を考へても独り
(兵庫県)今井 豊
 いかにも今井豊の句である。しかし、この地点で満足することは作者にとっても出来ないことであろう。この作者は句は作る。私の各紙誌の選句欄にもハガキを何枚も投じている。しかし、句会に出ない。句座がない。年に一、二度あんず句会に出席するが、自分自身、汗を流す句会を持たない。これは今井豊の俳句人生にとって重大なことである。十年後の自分を考えてみればよい。生活圏に句会を立ち上げて、人のために尽くすことから再スタートしないととり返しのつかないことになる。孤心に徹することとは甘えではない。



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