藍生ロゴ 「藍生」2月号−1 選評と鑑賞  黒田杏子


ひとわらひして睡りけり月の雨
(東京都)安達 潔
 どんな座のどんなメンバーなのかは分からないが、ともかく大いに声をあげて笑ったのち、作者は寝落ちたのである。雨月であって、月は拝めなかった。しかし、睡りの底に落ちてゆくとき、作者は月を見ている。月の光をこころの中に感じながら、明日へとつながる時間の廻廊に身を横たえる。月の雨の座五が効果的に置かれている。この作者の境地は確かに前進をつづけている。切れがあり、省略があり、人間の存在感がある。



鈴の音を指先に聴く秋遍路
(徳島県)瀬戸内 敬舟
 秋遍路という題で袋廻しなどをしても、こんな句は到底誰からも出てこない。澄み切った四国の秋の日射の中に、ひびきわたる鈴の音。誰の鈴ということもない。それは過去からやってきて、「我」という作者のいまを過ぎ、未来へと無限にひろがってゆく音である。昨秋、平成十四年九月、第十九回遍路吟行は、讃岐の弥谷寺であった。そのとき、私ははじめて気付いた。自分の前を打ち過ぎてゆく遍路の鈴の音に、とびきりの妙音、心が震えるような美しい響きのものと、それほどでもないものとが存在するのだということに。神仏具店主である敬舟氏にそのことを告げると、「鈴の音は鋳造時の金属のまぜ方、成分によって、全く音が異なります。よく心を澄ましていますと、その音の差がはっきりします」と答えられた。その音を指先に聴く、聴きわけるとはすばらしい。



福砂屋に鳴くよしづかに籠の虫
(長崎県)森光 梅子
 長崎カステラの老舗、福砂屋の本店であろう。いつか九州鍛錬会の折、みんなで、おくんちの長崎市内の夜間吟行をした。老舗は祭の期間中、庭見せ(?)ということで、家伝の品物を飾り、家の内部を公開する。そんな場面にも行き合わせた。この句の福砂屋は普段の秋の日であろう。土間の一隅に置かれた籠から虫の声が響く。鳴くよしづかに、ここに作者の感動がこめられている。



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