藍生ロゴ 藍生7月 選評と鑑賞  黒田杏子


喪主一人回向一人櫻切

(東京都)大矢内 生氣

 この句のキーワードは櫻切である。日本蕎麦の店では、とくに手打ちのその味を大切にする店では、折々の季節の植物を生地に練り込む。三月三日にのみ蓬草を生かした草切を出す店もあり、その他芥子切、柚子切などさまざまな風味でもてなす。櫻切は塩漬にした桜の葉と花を微塵に切り込んだもの。東京の花を待つ頃から満開の時までの限定メニューである。年に一度の花の季節。作者は喪主一人回向一人の座に臨んだ。死者の成仏、冥福を祈って、願って仏事供養をすることが回向である。おそらく作者は回向一人の座に在った。喪主と回向者の語る死者のこと。語られざる時間をほのかなる色合いの櫻切が埋める。



慈しみ祈れるごとく田を起こす

(東京都)中村 祐治
 田を起こす人を見つめていて、この一行がおのずと作者の胸の奥から浮かび上がってきたのであろう。無理にひねったようなところはない。考えて作り上げた言葉の配置ではない。この春、歩き遍路を満行した作者の句である 



風船の糸それぞれに揺れにけり

(東京都)安達 潔

 斬新な構図を切りとっている一行。風船の糸に眼を集中した。これ以上でも以下でもない。省略の効いたこういう句は、読んでここちよく、鑑賞者のイメージも拡がる。



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