藍生ロゴ 藍生6月 選評と鑑賞  黒田杏子


たしか乙女椿最後に見たものは

(東京都)坂本 宮尾
 この一行は興味深い。どのようにも解釈できる。舞台でヒロインがつぶやいた科白でもよいし、いまわの際にある人が残したことばとしてもよい。それよりも作者自身の記憶?。吟味して歓びたいのは、さりげなく発せられた言葉にみえるが、十二分に一語一語が練られていることである。ここはどうでも乙女椿でなければならない。作者のマジックにからめとられる愉悦感に沈みたい。



寒満月銀の梯子をのぼりけり

(東京都)中村 祐治
 みずみずしいこの感性を推す。六十五歳を限りに仕事を辞し、四国八十八ケ所の徒遍路に出立した作者。若いときから文学の道に入り、句作の道に近づいたのは「藍生」が創刊されてのち。雑誌は講読していても、投句を開始されるまでには何年もの準備期間が必要であったと言う。満月がその梯子をのぼってくる。そして作者自身もいまその天空にかかる梯子に全身を委ねてゆける刻を迎えつゝあるのであろう。



月にややおくれて雁の供養かな

(東京都)栗島 宏
一連の作品が雁供養というその場に出かけてのものであることを示している。行事の句は興味深いだけに作品化することはむづかしい。状況の説明でなく、その場に身を置いた人ならではの省略と抑制の効いた佳吟を揃えられたことに敬意を表する。 



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