De Tomaso 5000 sport ----

TOP : His #191De tomaso 5000 sport.
He had  build this car for the De Tomaso Club, Swiss.
His model is the copy from the car wars drive in Vallelunga/Italy.
#2 KingCobra is a Tamiya's slotcar body.
(C) Modeling, photographs by Klaus Tonn
 ギヤ・デトマソ 5000スポーツは、1965年のトリノ・ショーで発表された2座席スポーツカーである。
日本には、1966年カー・グラフィック誌のトリノ・ショー特集が最初と思われた。しかし、当時まだ季刊誌だったオートスポーツ誌 NO.7 WINTER 65にドン・ニコルズ氏の手記により「ル・マンを狙う66年コブラ」というタイトルで紹介された方が少し早いことが分かった。(下記の写真参照)
 写真提供は、あのピート・ブロック氏である。当時ブロック氏は、シェルビー・アメリカンのチーフ・デザイナーとして活躍していた。
ドン・ニコルズ氏にしろピート・ブロック氏にしろ、当時の日本モータースポーツ界になくてはならない人物であった。

 デイトナ・コブラで、65年のマニファクチャラーズ選手権GTカーチャンピオンとなったシェルビー・アメリカンは、66年のプロトタイプカーでのル・マン制覇を達成するために、デザイナー ピート・ブロックと共に作り上げたマシンがイタリアの秘密工場から持ち帰ったデトマソ5000スポーツであった。ちなみに、ドン・ニコルズ氏は手記中にこのマシンのことを“キング・コブラ”と称しており、タミヤのスロットカー“キング・コブラ”の名称の由来はこの手記から拝借したと言って間違いないであろう。

 当時、シェルビー・アメリカンは、デイトナ・コブラの後継車として427コブラ・クーペを計画していたが、それではフェラーリのプロトタイプカーには対抗出来ないと判断し、計画は中止されてしまう。
 しかし、実際はフォードGTの開発が進み、やがてシェルビー・アメリカンもフォードGTでのレース活動を受け持つこととなり、いつしか“デトマソ5000スポーツ”は忘れ去られてしまった。
 唯一、67年のローカルレースに出場したこのマシンは、現在スイスのデトマソ・クラブで静かに余生を送っているとのことだ。
Mr.Klaus Tonnは、この仕様のデトマソ5000スポーツをスロットカーにしてしまった。シャドウと同じく実車を元に原型を起こし、作り出したとのことだ。デビューした姿とはだいぶ変わってしまったが、リヤのエア・フォイル(デザイナーのブロック氏は、スポイラーのことをこう呼んでいる)は健在である。
 


Leftside : Car Graphic January 1966.
Rightside : AUTOSPORT No.7 winter'65 (Text report by DonNichols)
Many CHAPARRALS & others----

WOWOW !! Chaparral 1, 2, 2J, 2H, 2G, 2E, 2F,  and Camaro-----.

TOP : His 1/24 Slotcars are also very wonderful !! 
I regarded Nissan R381 (#20 68'JapanGP winning car) as very wonderful.
(C)Modeling, photographs by Klaus Tonn
 Mr.Klaus Tonnが製作した1/24scale Slotcarsの数はとても多い。ただカテゴリーはとても単純だ。アメリカンV8を積んだGroup7 carがそのほとんどを占める。
それには理由がある。1965年当時の彼の家の環境がかなり影響しているように思う。模型関係の店を経営していた父親の影響は大きいと思う。それと当方もその一人だが、アメリカより伝わって来た嵐のようなスロットレーシングの波をモロに彼も受けている。
初めて手にしたスロットカーは、K&BのFerrari 250GTO/64だったそうだ。しかし、そのスピードは遅く、その後購入したCOX製のFORD GTのスピードに本気で夢中になったという。COXのモデルを愛した彼は、その後もアメリカン・レーシング・スピリットに憧れ現在に至っているそうである。
 しかし、現在はスピードよりその車のデザインの良さやヒストリーを重要視した車作りをモットーに、スピード重視のシャーシには興味ないという。数多くの彼の作品の多くは“さかつう”製のシャーシが収まっていることでも分かる。
彼は、日本で活躍した当時のレーシングマシンにもとても興味を持っている。特に、トヨタ7やニッサンのGroup7カーやHino Samuraiが好きなようだ。90年代日本で再ブームとなった時代に さかつうシャーシやニッサンなどのボディを手に入れたのかも知れない。
また、彼の作品の多くは、現在常識化しつつあるクリヤーの厚塗り&磨きはほとんどしていない。当時実車がそうだったように、ごく自然の仕上がりが彼の作品の信条のように思える。
 現在、フェイン・デザインやミハエル・オルトマンなどとも深いパイプを持つ彼は、開発にも多々携わっているという。
さらに彼の作品を紹介しよう。
 
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(C)Modeling, photographs by Klaus Tonn.