1960年代のアメリカン・レースは、ヨーロピアン・レースの歴史に裏付けられた緻密な戦いとは違い、どこか大雑把で良く言えばだいご味あふれるレースであった。
 私が60年代のアメリカンなレースを初めて目にしたのは、丁度中学生の時だったと記憶している。それは、毎週TV放映されていた「世紀のデッドヒート」という番組だ。その内容は、ほとんどがアメリカで行なわれたレースで、60年代初頭のインディ500、そして、アメリカの2座席レーサーによるレース(66年のCAN-AMと60年代初期のロードレースだった記憶する)がメインで、たまにヨーロピアン・レースもやっていたように記憶している。(それも50年代のF1だったような・・・。モンツァでインディカーと争うF1レースもやったような気もする。)
 アメリカのサーキットは、ほとんどが砂漠の中にあるイメージを持ったのもそのTV放送を見てからである。事実、リバーサイド・レースウェイ(タイムズ・グランプリ開催)やラスベガズ(スターダスト・グランプリ開催)は、まさに砂漠に囲まれたサーキットであった。緑のイメージはほとんど記憶にない。
 映画「レッドライン7000」に出てくるストックカーレースも、デイトナ以外のサーキットでは、いつも砂ぼこりだらけであった。
しかし、この砂漠の中のレースこそがCAN-AMレースのイメージに良く合うのである。シボレーやフォード、はたまたオールズモビルのアメリカン・プッシュロッドV8エンジンを搭載した排気量無制限のモンスターマシンが砂漠を走る。これが60年代のアメリカン・モータースポーツの原点だったように感じる。それは、ストックカーレースから波及したものだったのではと感じる。
そして、インディも60年代初頭まで、無骨なフロントエンジン搭載のロードスターと呼ばれたアメリカン・レーサーが中心であった。
1960年代半ば、インディレースとロードレースにカルチャーショックが起こる。インディには、ロータスの最新ミッドシップが、そして、ロードレースには、ローラ&マクラーレンが参入してきたのだ。そして、シャパラルの登場。
 これらの登場により、技術的な面も含めて良い意味でヨーロッパとの混血を果たすこととなる。(逆にフォードは、1964年よりヨーロピアン・レースの花形であったル・マン24時間レース制覇を目論み、マニファクチャラーズ選手権に挑戦する。)
マシンは、ミッドシップが常識化し、参加ドライバー&チームもより国際的なものとなった。
 そんなアメリカの時代を背景としたスロットカー用のレーストラックを作るとしたら・・・。
Mr.Klaus Tonnのレーストラックは、まさにテキサスの香りがする砂漠の中のサーキットに仕上がっている。
この中をシャパラル2E(チャパラルと私は呼んでいたが・・・)のジム・ホールが、ローラT70のジョン・サーティースが、はたまたダン・ガーニーのマクリーグルが・・・。
ピット裏では、キャロル・シェルビーやロジャー・ペンスキー(ペンスケとも言っていた)が大きなジェスチャーで指示を飛ばしている。

TOP : the racetrack in his hobbyroom.
The Texas flag is flown.
(C) Photographs by Klaus Tonn



TOP : His racetrack is truly wonderful! 
And the warm taste is felt very much. 
His circuit has an atmosphere of the 1960s. 
North American Raceway is just reproduced. 
It has been moved deeply! 
(C)Modeling, photographs by Klaus Tonn
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(C)Modeling, photographs by Klaus Tonn