The '60s Modelcar Racing News 
60年代モデルカー・レーシング事情!!
 各地のリアル・タイマーの方々に当時を語って頂くページです。そして、現在のスロットカー事情も同時に語って頂きます。
< 第1回 広島編 >
編集長殿 
 広島のKです。お尋ねの件遅れて申し訳ありません、記憶に自信が無いのと私と同じ趣味を持っていられる方に、話させて頂くのは、楽しい事ですが、自分の勝手な思い込みや間違った情報が、あるかも知れません。唯この記事が、近所の誰かスロットに興味がある方や、私のような、昔夢中になっていてちょっと見てみようかという方の目にふれ仲間が増えればと思い大きなテーマに、おこがましいのですが、御返事させて頂きます。

(1)60年代の広島スロット事情(私の行動範囲内及び思い込み)

 私の記憶では、広島市内(自転車で行ける範囲)だけでも、6軒位の本格的営業用サーキットが有り、日模のホーム用のコースを利用した4レーン、15m位を持つ模型屋さんも所々(自転車の範囲で2軒)に有りました。広島県内では何軒あったのか見当もつきません。
今思うに当時の模型屋さんって、小さな所でも活気が有りましたが、今では見る影も有りません。又店内のほとんどをスロットのキットやパーツが所狭しとならべてありました。
 本格的営業用サーキットの思い出は、喫茶コーナーを併設した所も有り、BGMは「加山雄三」「ベンチャーズ」等でその後「グループサウンズ」それが定番でした(右画像ベンチャーズetc)。
今でもその曲がながれていると、当時のコースを思い出してしまいます。
コースは今と違い黒板のような塗装で8レーンがほとんどで、店の人にタイマーの電源を入れてもらい最盛期には1時間待ち10分2〜300円(終盤100円)だったと思います、でも中学生の遊びにしては高価です、それとバッテリー電源のコースは無かったと記憶しています、しかし1度本格コースで走らせると模型屋さんの日模コースだと物足り無さを感じました(安かったし、違う楽しさもあった)。
私の友達でもお金持ちは日模の8の字コース(ポルシェとフェラーリのF1付)を、買って貰った人もいますが、営業コースに行かないまま、飽きてすぐやめてしまいました。
私がコースへ行く時は、はキットの空箱にスロットカーと+と−のドライバー、ヘキサ(6角の棒をL型にした物)、板のスパナ(当時はシャフトにネジがきって有りましたよね、ネジで無いのは、タミヤ位だったかな?)、重り、コパールオイル、セメダインコンタクト、ペンチ等でパーツ類はほとんどありません(買えなかった)、を自転車の後ろに乗せて行っていました。

(2) 60年代スロット私の場合


TOP : The Scene of '60s Slot Racing Race.
 私が始めたのはブームのどこらかは(コグレのロータスフォードが初キット)判りませんが、「鉄道模型の自動車版か?」位の気持ちでした、当時中学2年で1965年だと思います。それまではプラモと言うと、2〜3百円の分相応の遊びでした。スロットカーキットはまともな物で800円以上していたと思います。
友人が「コグレ」のフェラーリを買ったので私はロータスを買い一緒に作りました。そのころモーターは「マブチFT16」しか無く、クラウンギヤーもたしか鉄、ピニオンも鉄、タイヤはゴムでトレッドパターン入り、塗装とかは無でとにかく二人でサーキット(広島繁華街のチトセサーキット)へ。
店内に入ってビックリ、大きくきれいなフロアーにコースが「ドカン」その周りに人がいっぱい(日曜だった)、私達も混ざって当分見ていましたが、家族的雰囲気でコース上もキット車ばかりで飛びぬけて早い車も無かったような気がします。(この雰囲気でいけば良かったのだろうか?いや人のスピードへの欲望は限りないものかもしれません)。
 私達もいざ走らせる事に(コース待ちアリ勿論コースなんか選べない)様子はお判りとおもいますが二人共ハズレマクリで、レーン番号の連呼でしたが、ギャラリーが多いため瞬時にレーンに戻してくれます。
そしてふらつくは、音はうるさいは、ネジははずれるは、散々でした。でも、修理中タイマーは止めてくれました。その日は10分だけで帰りました。
車を直す事に、ネジを点検、苦労して(ギヤー抜きが無かった)ピニオンを抜きプラピニオンに替え、次回に備えました、そして走らすと振動は出ない、音は静か、でもそれは1分位で突然モーターが「キーン」。お判りですね、プラピニオンが溶けていました。このように試行錯誤しながらスロットを学んでいったと思います。
その後チューンアップ(以後UP)が盛んに行われはじめ、サーキットや模型屋さんではUPパーツが多くなり、「もっと早く、人より早く」の時代で、動く自動車模型から競走へと変わってきました。
キット組みからクリアボディー、シャシーの改造又は自作へ、私もそれに影響されUPの情報を入手し真似する様になってきました。
では広島の地でどういうふうにUPをしたか?もちろん関東関西の情報でその殆どを「モデルスピードライフ」(以下SL)で得ました。
又、その他の雑誌でも特集記事が組まれていたので、それらを読みあさったものです。

<モーター>

 最初はFT36モーターが登場しそれに換装することでした。
たしかに直線だけは、早かったけどコーナーが?モーターは大きければ良いという物ではないと思っていたところFT16D、FT36D、その後、最強の26D登場となり複数の所から26Dの改造品も販売されており、でも、中学生にそのような高価な物は買えずもっぱら16D、36Dの巻き直しでした、それに使うホルマリン線も各種売ってました。そのサイズや巻き数等はもちろんSL参考です。
唯、広島はバッテリーコースではないのであまり太い巻き線は駄目でした。
その後270Sとか言うモーターが出たみたいですが、そのころすでに広島では走らせるとろが無かったと思います。(悔しい)

<タイヤ>

 初期のゴムタイヤの最良は、「日模」でしたね、しかし単品で売って無くてポルシェのキットを買いました。
その後スポンジタイヤの時代で、イリサワ製が有名で、タミヤ製も良く使われました。
スポンジタイヤの場合コパールオイルを塗っていました(みんなしてたから)。
レースの時、関東の人は小さなスタンプ台に似た物の上で後輪を転がしていました。あれもグリップ材でしょうが、何を染込ませてあったのでしょうか?

<ボディー>

 クリアボディー全盛で途中から塩ビからポリカーボネイトにかわりましたね。
レースでは100%クリアでフォーミュラークラスは胴の太いインディーカーでした。
私も、すぐ購入し、裏から塗るのは知っていたのですが、エナメルを塗るのは知らなかったので、失敗し、ラッカーを塗ったところ、内側に曲がりインディーカーがまるで「BRM」の様になりました。

しかし、ストックカーは、プラボディで長谷川、タミヤのキット以前は私も外国プラモ(メーカー名は忘れましたが)の1/25のフォードギャラクシーを作り、シャシーは、たしかタミヤスプリングシャシーですが、どうやってホイルベースを伸ばしたのかは覚えていません。
その後、ストックカーにはまり、営業用コース終盤頃、タミヤがダッジチャージャーを発売いたしました。この車はよく走りストックカー、GTレースにも
ダッジでダブルエントリーした記憶があります(ちょうどGTの持ち駒が無かった)。

レースの話が出たついでに、広島では初期の頃は何でもOKでした。
しばらくするとカテゴリーが4つに分かれました
1) GT 1/24でボディーからタイヤが出てない物、プロト市販車も一緒
2) フォーミュラー 1/24でボディーからタイヤが出ていたら、インディー
  F1、何でも有り(マンタレイもこのクラス)
3) ストックカー 1/25
4) 1/32 
レギュレーションとかは有ったのでしょうが、車幅80mm以内、地上高、重量、を測定された記憶があります。

<シャシー>

 初期は、インラインのみ(K&Bか良く解りませんがモーター、シャシー、
後輪軸受が1体になったサイドワインダーがあったような)。その後、サイドワインダーが登場しメインとなりました。そして、終盤寸前に少しだけアングルワインダー登場となりました(雑誌で写真をみただけ)。

 私が所有して速かったシャシーは、うる覚えですが、レベルACコブラのアルミシャシー。これは、FT36でクリアのインディーカーボディーを載せて良く走りました。
それと、ミドリのアルファロメオ カングーロのシャシー。これは、性能がどうと言う訳ではなく、その真鍮パイプフレームを見て自作シャシー作りの手本になりました。

そして、定番のタミヤスプリングシャシー。実に良かった。市販世界一の性能ではなかったでしょうか。
インラインでは、ステンより真鍮製が好きでした(ハンダが容易)。
サイドワインダーでは、最初の(たしかロータス40)シャシーは、モーターマウント部のスライドができずに、ギヤー比も固定で微調整もできず改造が難しい(ハンダがつかないダイキャストなのであたりまえ!)。
しかし、その後のキットでは、スライド出来るようにバージョンアップされました。
スプリングも硬くするか、動き巾を虚勢してやった方が良く走りました。
又、タミヤの欠点はあまりないのですが重量がかなり重いのと、異様に大きなガイドウェイト(これは見た目ぶさいく)が印象に残ります。
 自作シャシーもよく作りました。当時、真鍮パイプ各サイズ、真鍮板が売られており、モーターマウント、軸受け等も単品売であったので簡単に作ることができました。
 あるレースで関東から来ていたグループの1台で、低く軽く速い今で言うフレキシみたいな車を見て感銘し、似た様な車を作ろうと考え、まず軽くしようとモーターは16D巻き直し、サイドワインダーでモーター缶本体に後車軸、フロント部分、スイングアーム等を、ハンダ付けし真鍮パイプはなるべく細くし、少し、しなる様、稼動部分無し、ギヤー比変更も勿論不可です。飛ぶとすぐ曲がりますが、自作の中ではシンプルで作りやすく1番速かったと思います。
でも、モーター缶って強いですね。
 終盤、何かの資料でみつけたラクラチャ式のシャシーを、パイプで作りかけましたが、製作途中で走らせる所が無くなり残念な思いをしました。

<その他>

 ウエィト・当時ハンダの平板を切って貼りましたけど、ホイルベース内に貼るのですが、どこにつけたら速くなるか理解出来ず、単純に重心を下げるだけなのか解らずこれも試行錯誤でした。

クラウンギヤー・初期のころ1つのハブに向かい合わせで2種類のギヤーがあり高速、低速サーキットに合わせイモネジで切り替え、何て言うのも有り、子供でも「モーターの回転方向は無視?」と思いましたが、オモチャらしくていいですね。
いつもは真鍮製(あとは鉄しか無かった)を使っていました、ピニオンも真鍮でした最初はゴギゴギしていましたが、走りこむとスムーズに回り耐久性もあり、慣らしたクラウンギヤーは宝物でした。
タイヤと同じで走行量も重要だなと思いました(コース使用料もかかる)。

スパーギヤー・真鍮、プラがありましたが、真鍮好きの私もプラでした(ピニオンもプラが使える)、取り付けは、ナットで締め合うタイプを使っていました。又、ホィールと締めあえば総巾が節約できる為、サイドワインダーのタイヤ巾を稼げます。
また、タミヤ製だと思うのですが、ホィールと一体となった物もあり、ホィールの固定は、タイヤのトレッドから6角ネジを突き立てるタイプで、これもタイヤ巾を稼ぐためかと思います。
サイドワインダーでは巾が広くなるので、アングルワインダーが出てきたのか? それともギヤー接触面が少なく、抵抗が少ない為主流になったのか?
そのわけがわからないまま、広島の1期は終りました。

 私は、中学2年から高校1年まで楽しんだのですが、途中、高校受験もあり、親に全部を隠されたり、先生に呼ばれたり殴られたり(当時は有った)しました。学校帰りに、サーキット1軒、模型屋1軒あったので、つい寄ってしまい困ったガキでした。
スロット資金は知り合いのおじちゃん(水道屋)のつてで工事現場のアルバイト(掃除と穴掘り)を学校の休みにさせて頂きありがたかったです。

以上が私の60年代のスロットの思い出です。「おいこれは違うだろー」と思われる所もたくさんあると思いますが、頭の中にあるものをそのまま文にした
だけですので、どうぞご理解下さい。

(3) 現在広島のスロット事情

 広島の60年代も終わり私も30年以上遠ざかっていたのですが、60年代を第1期とすれば、アオヤギ時代は2期、プラフィット時代が3期、現在エクセル時代が4期と勝手に思い込みのまま話させて下さい。

首都圏では1.2.3.4.と続いていたのでしょうか、広島も3の時代が私の家の近くで営業されていたと、のちに聞きましたがまったくわかりませんでした。
仕事や子育てがあるていど目鼻がついた時、インターネットで広島にもサーキットがあることを知り去年の三月に地図をたよりに行ってみました。祭日で偶然オーナーの方がおられ話を伺い仲間にいれてもらえる事になり、その日エクセルとコントローラーを買って帰りました。
その時、このコースは土曜の夜のみオープンで夜中の2時ごろまで開け、又10分いくらじゃ無く月会費で土曜の好きな時間に来て、好きなだけ走らせ、好きな時帰る。負担をかけず束縛のないシステムを聞き、車を借り遊ばせていただきました。
 ここは家から50分位の所で、メンバーも6コース埋まる位の少人数ですが、毎週レースを楽しんでおります。
又、同年代の方が多く、マナーも皆さん良いので気持よく楽しめます。
コースを見て、買って来たエクセルを見ると、時代の進歩に驚きました。
例えば、
1.コースの塗装がウレタン鏡面仕上げに
2.コントの形がピストル型に
3.コンピューター表示がありラップタイムが毎周表示される。
4.スイングアームが無い。
5.モーターが小さく開ける事が出来ずメンテ出来ない(使い捨てかな?)
6.CRC556やジッポオイルを、タイヤのメンテに。
7.小さなモーターでも、とても速い(当時の速さは覚えていませんが)。

それで私も遠ざかっている間の事を経験してみたく、オークションで2.3.4期の古いシャシー、クリアボディー、パーツを安ければ手に入れ走らせました。その結果は、新しい物がやはり走らせやすく壊れず速いようです、古い物(特にタイヤ)の劣化を差し引いてもそう思います。
ここのコースで今まで経験させてもらった事を少し。
3〜4ヶ月に1度位、他のサーキットへレースをするため連れて行って頂きました四国徳島、四国松山、九州小倉に行ってまいりました、どこもオーナーやメンバーの方は、マナーもよく独自のスタイルをお持ちで遊びを造って下さいます。おかげ様で、楽しくレースをして帰路につく事ができます。遠征もむりやりでは無く、都合がつく人が集まって行っております。
又、こちらのコースへ他のコースで活躍されておられる方も時々こられ、レースを楽しんでおります。各コースで定例のレースがあり、何月はどこと、決めてあるようで、横のつながりは結構広いと思われます。遠征に行ったり来られたりして、レースする時は、前もってカテゴリーやレース形態を決めてくださいます。
私なんかは、それにひっぱって貰って楽しませて頂いているのが現状です。


(C) Photographs by K from Hiroshima.

(C) Photograph by K from Hiroshima.

今まで経験させて貰ったレースは、数あり主なものを下に書かせて頂きました。
1.ワンメイク モデナ、ニュービートル、MGB、ポルシェ、RX7等
2.市販車(ライト点灯) 私はNSX
3.夏の耐久(前座、実車1300cc以下、5分X6ヒート)私はミニ
4・夏の耐久(プロト、カンナム 30分X6ヒート)私はフォードGT40
5.Cカー 私は ポルシェ962C
6.12時間耐久(Cカー、予選により決めたそのコースだけを12時間走る)
7.グラチャン (詳しくは長くなるので別記します)
8.1/32(最近無い) 私はランボルギーニミウラ
9.カート 私はローラフォード

等ですが、遠征も入れるともっと多くなります。ちなみに、今年の夏耐は、前座RX7(FD)で3時間はシルエットフォーミュラー(Gr5)だそうで、シルエットブルーバードで出ようかと思います。又、12時間耐久はDTMだそうで、オペルカリブラなんかどうでしょう。
それから先ほどのグラチャンですが、ある日いつもの様にコースへ行くとオーナーが、粘土をこねくりまわして車をつくっていて、「これをシリコンで型を雌型取り、それに石膏を流し雄型をつくりヒートブレスする」そうで、「昔のグラチャンみたいに、みんながコンストラクターとなり、一定のルールの下で自分の好きな車を作りシリーズ戦でレースしょう」と先駆をつけてくれました。これを聞き、つい牧野様のホームページを思い出し、参考にさせて頂きました。
最初は、粘土に石膏を流し雌型をつくり、内側にFRPで作ってみました。
少し重いですけど良く出来たのですが、2個目を造る時、雌型にCRCを吹くのを忘れ剥がれなくなり、駄目にしてしまいました。
次に、考えたのは、まず適当なクリアボディーの内側に石膏を流し、それを離型とし、なるべく左右対称に好きなデザインにノミ、彫刻刀、紙ヤスリで仕上げ、掃除機を使って自作ヒートブレスしました(下写真参照)。




(C) It's a greatest original bodys, I've ever seen before!!
(C) Photographs by K from Hiroshima.
材料は0.5mmのプラ板ですので軽いけどよく割れます。
中々うまくいったので、図に乗って「シャドー」みたいにしょうと低い車も作ったのですけれど、シャシーが収まらず失敗もしました。
このシリーズも今はもう終わり、最終戦は6時間耐久でした。
さあ次はなにが出るのでしょう?

たった1年そこそこ新スロットを経験しただけですが、きっちり作らないと良く走らない事がわかりました。
直線はモーターが当たりならまあ速いですが、昔と比べると擦動部も多く、水平垂直、平面が良く出てタイヤも良くなければ、若くは無い、私のにぶい頭では安定した車で無いと速くはしる事はできません。

昔の様に専門誌も無いので教えて頂くかやってみるしかないようで、いつもテールエンダーでしたが最近たまに、勝てるようになり一段と楽しくなりました。
だらだらとつい長くなりましたが、60年代と現在を書かせて頂きました。
このように中学生のころのスロットと泣き泣き別れ、50になって又同じことが出来る事は幸せな事だと思います。
チーターモーターでフレキシを走らせると目が回り子供の頃のようにはいきませんが、暫くは無理の無い範囲で続けていこうと思っています。
最後までお付き合いありがとうございました、では貴HPのこれからの尚いっそうのご発展を祈り終わらせていただきます。
 

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