“帰ってきたTETSU” 

 1968年3月11日。TETSUは、富士スピードウェイに再び帰ってきた。3月3日にイギリスより帰国その去就が注目されていたが、タキ・レーシングチームに参加が決定、日本グランプリをめざして早くも練習を開始したのだ。
マシンは、タキ・レーシングチームが購入した昨年度のポルシェワークスチームの主力マシンだった“カレラ10”だ。タキ・レーシングチームは、、ドライバー業を引退した滝進太郎がブリヂストンのバックアップを得て設立した強力プライベート・チームである。
ニッサン、トヨタの“ビッグマシン”に唯一対抗出来るこのチームのマシンも強力だ。最新鋭の量産プロトタイプカー“ローラT70MKIII ”が2台、ポルシェの強力2リッターマシンとして余りにも有名な“カレラ6”、そして発展型の“カレラ10”。さらに、ドン・ニコルズよりレンタルしたグループ7カー“ローラT70MKII ”も用意している。
また、契約ドライバーたちもこれまた凄い!走り屋一代“田中健二郎”、アメリカンV8が日本一似合う不死身の“酒井 正”、将来有望な“長谷見昌弘”、そして、スポット契約ながら67年日本グランプリの覇者“生沢 徹”。
 TETSUは、初めから“カレラ10”に乗ることを条件にタキ・レーシングチーム入りしている。なぜならば、ポルシェに乗り続けることでワークス・ポルシェへの道が開けると信じているからだ。

 1968年5月3日、トヨタ、ニッサン、タキ・レーシングいわゆるT.N.Tの激突で沸いた“第5回日本グランプリ”は、快晴の富士スピードウェイで開催された。
10万を越す大観衆の見守る中、予選1〜2位を占めたニッサンR381がスタートからトップを快走。初めて本格的なレーシングカー“3リッターV8 トヨタ 7”を自社で開発したトヨタは、見るからにニッサンの技術に立ち遅れており、2リッターのニッサンR380II とのバトルが精一杯の状態であった。
一方、最新鋭のレーシングカーを揃えてグランプリに臨んだタキ・レーシング・チームは、前半こそ田中健二郎のローラT70MKIII がニッサン勢の間に入り気勢を上げたが、80周480Kmの長丁場ではプライベートチームゆえの宿命か、エンジントラブル等が多発、相次いで脱落していった。唯一、TETSUのポルシェカレラ10のみが上位で健闘しているのが現状だ。後半、ニッサンR381でトップを走る北野 元に強引に迫るも最終的には1周遅れの総合2位でレースを終えている。
しかし、わずか2リッターのカレラ10で5.5リッターシボレーエンジンで走るR381を追い上げたのは、やはりTETSUのドライビング・テクニックのセンスとワークス・ポルシェ入りへの執念が押し上げた結果ではないだろうか。
The model car of TETSU's PORSCHE 910 in '68 Japan GP
Modeling by Osamu Aihara 

TOP : Tetsu's Porsche 910 in '68 Japan GP. He gots a 2nd place.
(C) Modeling, photographs by Osamu Aihara.

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