“帰ってきたTETSU” 1968年3月11日。TETSUは、富士スピードウェイに再び帰ってきた。3月3日にイギリスより帰国その去就が注目されていたが、タキ・レーシングチームに参加が決定、日本グランプリをめざして早くも練習を開始したのだ。
|
1968年5月3日、トヨタ、ニッサン、タキ・レーシングいわゆるT.N.Tの激突で沸いた“第5回日本グランプリ”は、快晴の富士スピードウェイで開催された。
10万を越す大観衆の見守る中、予選1〜2位を占めたニッサンR381がスタートからトップを快走。初めて本格的なレーシングカー“3リッターV8 トヨタ 7”を自社で開発したトヨタは、見るからにニッサンの技術に立ち遅れており、2リッターのニッサンR380II とのバトルが精一杯の状態であった。 一方、最新鋭のレーシングカーを揃えてグランプリに臨んだタキ・レーシング・チームは、前半こそ田中健二郎のローラT70MKIII がニッサン勢の間に入り気勢を上げたが、80周480Kmの長丁場ではプライベートチームゆえの宿命か、エンジントラブル等が多発、相次いで脱落していった。唯一、TETSUのポルシェカレラ10のみが上位で健闘しているのが現状だ。後半、ニッサンR381でトップを走る北野 元に強引に迫るも最終的には1周遅れの総合2位でレースを終えている。 しかし、わずか2リッターのカレラ10で5.5リッターシボレーエンジンで走るR381を追い上げたのは、やはりTETSUのドライビング・テクニックのセンスとワークス・ポルシェ入りへの執念が押し上げた結果ではないだろうか。 |
Modeling by Osamu Aihara
(C) Modeling, photographs by Osamu Aihara. |
GO
TO NEXT PAGE
次のページへ続く