(C) Photograph, modeling by Osamu Aihara. |
“執念のドライビング ワトキンスグレン6時間レース”
1968年のFIA世界マニファクチャラーズ選手権は、レギュレーション変更のため、前年までのフォード、チャパラル、フェラーリなどのモンスターマシンは姿を消し、排気量3リッターまでのプロトタイプカーと5リッターまでのスポーツカー(年間50台生産義務)により争われていた。
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そう、TETSUは約2時間に渡ってワークス・ポルシェ908をドライビングし、稀に見るポルシェ各車のトラブル続出の中、唯一完走し6位入賞を飾ったのだ。
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1968年度世界マニファクチャラーズ選手権行方は、5月革命により9月28〜29日に延期された“世紀のル・マン”で全てが決まることとなった。
結局、このレースでもワークス・ポルシェはJ.WフォードGT40に勝つことが出来ず2位に終わり、チャンピオンは再びフォード(実質はJ.W.エンジニアリングであるが・・・)の手に落ちてしまった。 結果、2年連続の選手権敗退により、現状のワークス・ポルシェ体勢にも大きな変化が必要とされることとなった。まずは、長年監督を務めたフォン・ハンシュタイン氏が引退、次期監督にはそれまでポルシェのドライバーとして活躍してきた“リコ・ステインマン”氏が就任することとなる。そして、1969年には、最強のスポーツカーと言われる“917”の登場も控えている。 この変革は、翌年もワークス・ポルシェでのドライブを臨んでいたTETSUにとっては寝耳に水であったのは言うまでもない。 しかし、そんなことで塞ぎこむTETSUではない。TETSUにはさらなる“夢”が待っているのだ。それは“グレーデッド・ドライバー”への挑戦だ!! |
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