皆さんからの熱きメール紹介 60年代にただ一人世界を股にかけて活躍された名レーシング・ドライバー「生沢徹」さんへの皆さんから頂いた熱きメールを紹介します。
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13/NOV/2006
Tさんから頂いたメール紹介「F1 生沢号」
生沢さんの大ファンです。鈴木亜久里さんはF1チームを立ち上げ凄いですが興味はないです。生沢さんファンは生沢F1号がグリッドに並ぶことに支援や応援を望みます。それほど生沢さんは魅力的な国際的視野をお持ちの方で、何らかの形で生沢さんにグリッドに並んでほしいと思います。1960年代からの日本自動車工業会で彼ほどのカリスマ的存在感の方はいらっしゃらないし日本のトヨタや本田などは国際企業として世界を股に活躍された生沢徹さんを何らかの形で彼を支援してほしいです。トヨタと本田の現在戦うF1挑戦はカリスマ的人材が見当たらず魅力がありません。大人が選ぶF1に参加してほしい人NO1は生沢徹さん以外いませんし彼ほど絵になる、存在感ある方はいません。鈴木亜久里さんの次は生沢徹さんにF1グリッドに並んでほしいです。
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くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
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27/NOV/2004
K.Nさんから頂いたメール紹介「素晴らしいHP!」
初めまして
本田中村良夫監督のエッセイ集、生沢徹の文章は今でも覚えています。日本初のF1ドライバーになれなかったですが、あこがれの人物ですから。牧野様の文章は小生と時を同じくしたと思われる部分が多々あります。今までの思い出での一番は74年富士GCの大事故を目の前で見たことです。
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くるま村の少年たちを主宰しております牧野です。
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27/JULY/2003
Nさんより頂いたメール紹介「大ファンです」
始めまして。 55才のおじさんです。
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「くるま村の少年たち」および「帰ってきたTETSU」を主宰させて頂いております牧野です。 N様、この度は私のHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂きありがとうございました。 N様はモータースポーツについては私の大先輩ですね! 私が生沢さんを生でレース観戦させてもらったのは1971年富士グランチャン最終戦マスターズ250Kmレースでした。 あのポルシェ917Kで雨のレース戦ったやつです。 あいにくギヤ比が合わなく風戸選手のポルシェ908IIに破れてしまいましたが本当に汗握るレースだったと記憶しています。 http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/71Fuji250km1.html 現在の生沢さんは仕事でイギリスと日本を往復されているようで昔と同じですね! これからもぜひHPに立ち寄ってください。 では、どうもありがとうございました。 |
31/MAY/2003
Mさんから頂いたメール紹介「生沢 徹氏へのコメント」
生沢 徹氏へのコメント= 中学1年生(1963年)の時カーグラフィック誌を購入以来、浮谷東次郎氏と共に生沢 徹氏を応援させて頂きました。今も、バイクに乗る時は、生沢氏のカラーリングのヘルメットを着用してツーリングを楽しんでおります。 |
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MASTER :
M様、コメントありがとうございました。
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07/FEB/2003
Y.Tさんから頂いたメール紹介「生沢ファン」
始めまして。私は53年生まれですから、ほぼ同世代ですね。
モータースポーツって、想像を超える体力と気力が要求されますよね。
昔、生沢さんが246沿いでオフロードバイクの店をやっていた時、立ち寄ったことがあります。当時の私はモトクロスをやっていてちょうど店にいらした生沢さんとちょっとお話をしました。
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T様、この度はまだまだ未熟なわたしのHPに立ち寄って頂いただけでなくメールも頂き本当にありがとうございました。
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23/DEC/2001
T.Iさんから頂いたメール紹介 「こんばんは」
初めまして。こんばんは。私、楽しく拝見しました。 私、1947年生まれです。私も生沢徹選手が好きで、良くレースを見に行きました。高校の頃を思い出します。 御殿場腺で小山町駅まで行きバスで行ったことを思い出します生沢さんの活躍はしびれました。 当時は今のように雑誌などなく、たしかオートスポーツはまだ無くオートバイの本で結果を見た気がします。 UKのF3の一ヶ月遅れのレースを胸がワクワクしながら眺めていました。 帰国し日本グランプリの三菱F3の時も富士にいました。 速かったですね。 今の佐藤琢磨君に生沢さんをオーバーラップします。生沢さんにF1に乗せたかつた親父です。 子供は男だつたら名前は徹と決めていましたが女の子ばかりでした 今でもポルシエの音が聞こえそうでした。ありがとう----------------------。 |
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I様、この度は、まだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂いただけでなく、メールまで頂きありがとうございました。 モータースポーツ・ファンとして大先輩である伊波様からこのようなメールを頂きまさに主宰者冥利に尽きる思いであります。 生沢さんは、本当にカッコ良く、私にとって当時はまさにヒーローでありました。 時代を先取りしていたというか、活躍する時代が早過ぎたヒーローだったのではと思ってしまいます。 今であれば、本田やトヨタがバックアップしてF1に上り詰めることが出来たかもしれません。 これからもいろいろなアドバイスを頂ければ幸いです。 本当にありがとうございました。 |
23/DEC/2001
H.Tさんから頂いたメール紹介 「私もその頃(60年代)、TETSUファンだった」
'71富士マスターズに、私も現地で観戦してました。天気は雨ふりでしたよね。生沢選手は、ポルシェ917Kに乗ってて、順位は3位でしたっけ。牧野さんのHOME PAGEを見て、とてもなつかしく、なんだかうれしい気分で、メールを書いちゃいました。私は、1955年生まれなので、牧野さんとは同学年みたいですね。 10代、20代の頃は、RACE記事を手当たり次第に読みあさり、RACE観戦やイベントによく出掛けてました。牧野さんとは、同じ記事を読み、同じ場面を見ていそうですね。HOME PAGE、楽しみにしてます。 |
WEB
MASTER :
T様、この度はまだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂きありがとうございました。 Tさんとは、正確に言うと1歳年上になるのだと思いますが、同年輩ですね! 当時、GCは雨の日が多く本当に観戦するのは根性がいりましたね! 生沢さん、風戸さん、そして、鮒子田さんは、私にとっては本当に当時ヒーローでした。 毎月のように彼らの活躍を心待ちにしてオートスポーツを買って読んでいたのを思いだします。 1昨年、生沢さんからHP宛てにお連絡を受けた時は本当に飛びあがる気持ちでありました。 丁度、33年ぶりにニュルブルクリンク24時間レースに出場される時で、あのホンダS800でクラス優勝された思い出のコースということで本当に盛り上がりました。 http://www.mmjp.or.jp/60srace/ThePageofTetsu.html そして、昨年暮れにあの鮒子田寛さんより激励のお連絡を受け、それが御縁で「鮒子田寛レーシングヒストリー」HPを作らせて頂くことが出来ました。 http://www.mmjp.or.jp/60srace/HiroshiFushidaHPTOP.html 今だにお元気で、今年のル・マンに出場したベントレーの製作会社の役員をされてイギリスに住んでおられます。 では、これからもちょくちょく立ち寄ってください。そして、良きアドバイスを頂ければ幸いです。 本当にありがとうございました。 P.S. ところで、1971年のGCマスターズ250Kmレースにポルシェ917Kで出場した生沢さんは、ギヤ比が合わず惜しくも風戸選手についで総合2位でした。 |
24/SEPT/2001
Aさんから頂いたメール紹介 「少年時代の英雄」
初めまして。 貴殿のホームページを拝見させていただき、少年時代の懐かしい思い出や、夢中になって、オートスポーツ誌で徹さんの活躍を読み漁って、興奮したことを思い出しました。 第四回日本グランプリレースでプライベート参加ながら、ワークスチームを敵にまわし、見事に優勝した時などは大喝采でした。また、ヨーロッパにおいて、日の丸カラーのフォーミュラーで、活躍した時などはいつかは必ずF1で走るだろうと信じて疑いませんでした。間違いなく、少年時代の大ヒーローでした。 いろいろな事情で、残念ながらF1には行けませんでしたが、最近でもニュルでクラス優勝したと聞いて、やっぱり徹さんは永遠のヒーローだと思いました。 日本の国際レーサーのパイオニアとして、いつまでも私の心に残るでしょう。 これからも徹さんの活躍をホームページで知らせてください。 感動をありがとう。愛知県 47歳のおっさんデス |
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MASTER : この度はまだまだ未熟極まりない私のHPに立ち寄って頂き、さらにメールまで頂き本当にありがとうございました。
TETSUさんは、当時の大ヒーローでした。 同時に、世界を股に駆ける今で言うサッカーの中田や大リーガーであるイチローと同等以上のインパクトを私たちに与えてくれた英雄だと言えると思います。 A様は、多分私と同じ年代(私は昭和29年生れ)だと想像するのですが、同じ時代を体験したリアル・タイマーの方からこのようなすばらしいメールを頂くことは本当に主宰者冥利に尽きる思いです。 これからもお時間があれば立ち寄ってください。 また、先日元チーム・トヨタで活躍しておられた鮒子田 寛さんとある御縁でお会いでき、氏の御協力によりHPを作らせて頂く事が出来ました。 http://www.mmjp.or.jp/60srace/HiroshiFushidaHPTOP.html 鮒子田さんも生沢さん同様、海外に夢を乗せて活躍された方ですので、生沢さん、風戸さんと共にヒーローだと思っておりましたので、本当に感激しました。 こちらも是非立ち寄って見た頂ければ幸いです。 それから、メールを頂く方の大半は愛知県の方が多いというはやはり鈴鹿サーキット等によるモータースポーツ発祥の地と言うことが影響しているのでしょうか?! では、これからも良きアドバイス宜しくお願いします。 ありがとうございました。 |
16/AUG/2001
S.Mさんから頂いたメール紹介「TETSU
IKUZAWAの件」
始めまして、私は生沢様の生き方に共感をもつM.Sでございます。 今から18年前に世田谷区にある店「TEAM IKUZAWA」へ行き、生沢様本人に会い、サインを頂きました。 今もその店はおありでしょうか? いつまでも夢を失わないという生き方に強く魅かれております。 生沢様の熱狂的なファンの方がおられることは嬉しく思います。私としては夢がたとえかなわなくとも死ぬまでつき進めようという姿勢に共感をもちだしたわけでございます。 やはり前例にないことをやろうという発想も好かれる理由となっていますね。たとえば個人が大企業に勝てる(第4回日本グランプリン)例とか・・・あの時は大企業だからお金をポイすれば勝てるという固定イメージを打破しょうとレース史上初めて会社のスポンサーを得てのプライベートチームとか、あのハイレグのレースクィーンも生沢様が持ち出したとか、歴史に残る宣誓拒否とか・・・まさに時代の寵児ですね。今風流となっている事柄の先駆者ともいえますね。そういうところに魅かれるわけです。 申し遅れましたが、私は聴覚障害者です。人間は一生チャレンジャーであれ!という姿が障害者にとっても励みになりますので。 今後もよろしくお願いいたします。 |
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MASTER : M様、この度は私のまだまだ未熟なHPに立ち寄って頂いただけでなくメールまで頂き感謝しております。
TETSUさんとは私が熱狂的なファンでまったくの私の独断と偏見で作らせて頂いているHP宛てに感激のお連絡を頂いたのが一昨年であり、それ以来時たまではありますがお連絡を頂いております。 生沢さんは、Mさんがおっしゃっている通り当時としては正に先陣を切っていたリーダー的な役割をなさっていたと思います。 私たちはそんな姿に憧れていたわけですが、その反面、反生沢の立場の人間も沢山おり、かなりの風当たりを受けたのではないかと想像されます。 では、これからもお時間がありましたらぜひ立ち寄ってください。 また、生沢さんにもきっと見ていただけると思いますしきっと喜んで頂けると思います。 では、ありがとうございました。 |
8/AUG/2001
O.Aさんからのメール紹介 「私もTETSUファンです」
初めてメールいたします。牧野様のページいつも楽しく懐かしく拝見しています。 私も牧野様と同年代のテツファンです。中学、高校時代は毎月オートスポーツを見るのが楽しみで、どんな小さなコラムでもテツの結果を探しては一喜一憂したものです。勿論、いまでもテツファンです。一昨日、ミスタークラフトのジョーホンダさんの写真展へ行ってきました。記帳した時、私の前に記帳されていたのが牧野様でした。写真を見ていると本当にかしくて、テツはかっこ良くて、おもわずロータス69の写真を買ってしまいました。 私は1/43のメタル、レジンのモデル作りを趣味にしており、今年のテーマはテツの乗った車を作る事なのですが、もう8月というのに、まだ67年のニュルを走ったS800しか完成しておりません。これはもう今年のテーマではなく、私のライフワークになるかも知れません。このモデル作りの資料としても、牧野様のページを参考にさせていただいております。本当に有り難うございます。どうぞこれからもテツのことが沢山載っているHP作りをお願いいたします。 |
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MASTER : A様、この度は私のHPを見て頂き、そしてメールまで頂きありがとうございました。
8月4日にジョーさんの写真展にいらっしゃったのですか!? それも私のサインの後ということは同じ時間帯にいらしたということになるのでしょうか?! 私は会場でわいわい言っていたのですがお会い出来ずに残念です。 ところで、ジョーさんの話しでは生沢さんも招待してあるそうなのですが、いらっしゃってないようです。 もし生沢さんが今の時代にF3やF2をやられていたら絶対にF1に行ったとのでないかと思います。 それだけ当時の日本とヨーロッパとの距離、そして日本のマネー力の違いがそのままF1への距離となっていたのではないかと想像してしまいます。 ではこれからも良きアドバイス、そしてTETSUさんの思い出などを聞かせて頂ければ幸いです。 ありがとうございました。 |
14/MAY/2001 Sさんからのメール紹介 「はじめまして」
はじめまして、52歳の徹ファンです。 ノスタルジックヒーロー6月号で生沢徹のホームページを知り早速アクセスしました。(自分ではできないので息子にやってもらいました)大変なつかしく、うれしく、プリントアウトさせていただきました。 オートスポーツ第2号よりの愛読者で、当時からの徹ファンです。 尚、テツ、イクサワレーシングパートナーシップ会員No.A-0004でもありました。 最近ではニュルブルクリンクのニュースくらいであまり本にもでてきませんでしたので、このホームページを見てとてもうれしいです。 又、ホームページ上の第4回日本グランプリの写真のレーシングスーツを持っています、パートナーシップの集いで入手したものです。 雑誌、新聞等のスクラップ(未整理)、ステッカー、ポスター、etc多数あります。 「GRD S74 BMW」はラジコンで1/12がありました。(トドロキモデル フェニックス(ポリカネートクリアボディ)) これからも良い情報を楽しみにしています。 |
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MASTER : 「帰ってきたTETSU」、そして「くるま村の少年たち」のHPを主宰しております牧野です。
S様、この度はまだまだ未熟な私のHPを見て頂いただけでなくメールまで頂き大変感激しております。 さらに、テツ・イクザワ・パートナーシップの会員でもあられたということをうかがい大変羨ましい限りです。 No.A-0004という会員番号も凄いですね!TETSUさんがこのメールを見られたらさぞかし喜ばれると思います。 > ホームページ上の第4回日本グランプリの写真のレーシングスーツを
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16/APRIL/2001 Nさんからのメール紹介「はじめまして。Nと申します。」
生沢徹のインターネット、やっと見つけました。私も徹さんの大ファンで、ずっと追いかけをしてました。富士グラチャンも、GRD、S74.BMW、ばかりをカメラでとってました。今は、41歳になり、子供もふたりで、生活もだいぶ変わってしまいましたが、オートスポーツ、やレーシングオン、だけは今も愛読してます。チームイクザワも自由が丘にあるようですが、レース界とは関係ない様子で、私には寂しい限りです.何年か前ですが、生沢さんが、F1を作ったと言う記事を、レーシングオン誌で、読み、モウー最高に興奮した事がありました。ご存知ですか。モーターレーシングイズマイライフ。私の座右の銘です。そのすべてを,生沢さんからいただいたとずっと思ってます。 是非今後も生沢情報をよろしくお願いします。ただし最新のをおねがいします。すみません。また、GRDーS74BMWのレジンモデル、または、ミニカー、プラモデル、ありましたら情報いただければ幸いです。ずっと探しているのですがまったく成果ありません。では突然にメールしましたことをお許しください申し訳ございません。 |
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MASTER : N様、この度は、まだまだ未熟な私のHPに立ち寄って頂きありがとうございました。また、メールまで頂き感謝しています。
昨年、33年振りに生沢さんがニュルブルクいリンク24時間レースに出場されて見事クラス優勝された時には本当に飛びあがるほど感激しました。 実は、一昨年に生沢さんよりお連絡を頂いて以来、いろいろ協力して頂き現在に至っております。 私は、現在47歳になろうかというオヤジでありますが、1966年から1973年までの7年間は、勉強そっちのけで日本モータースポーツとモデルカー・レーシングに明け暮れておりました。そんな栄光の時代を3年前ふと振り返えってみるとまわりは「そんな時代あったのか」と言わんばかりの状態であり、愕然として、「なんとかしなくては・・・」と思い立ち、不慣れなPCを使ってこれらのHPを作ろうと決心したのが3年前でありました。 > 是非今後も生沢情報をよろしくお願いします。ただし最新のをおねがいします。
> GRDーS74BMWのレジンモデル、または、ミニカー、プラモデル、ありましたら情報いただければ幸いです。
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5/APRIL/2001 芸文社「Nostalgic
Hero」編集部のWさんよりのメール紹介
芸文社NostalgicHero編集部のWと申します。次号でプリンスの特集を予定しております。その中のホームページ紹介で是非とも、「帰ってきたTETSU」の紹介をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。 ぜひとも許可をいただきたくご連絡いたしました。紹介はアドレスとトップページとその他のページ2画面のみです。何卒、よろしくお願い申し上げます。 芸文社NostalgicHero編集部 W
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WEB
MASTER : W様、この度はまだまだ未熟極まりない私のHPを弊社Nostalgic
Here誌の中で御紹介頂けるとの事本当に感謝しております。
私も40歳半ばの中年オヤジでありますが、1960年代の日本グランプリ等は、今だ熱い思い出でいっぱいであります。また、生沢徹さんは、今でも私の中では最高のヒーローでありますので、この「帰ってきたTETSU」を紹介していただけることは主宰者冥利に尽きるという感じであります。 実は、このページは、実際に生沢さんの了解の元に作成しておリますので、生沢さん御自身もきっと喜ばれることと思います。ありがとうございました。 |
30/DEC/2000
1951年生まれのKさんからの熱きメール紹介「私の青春」
本当に、うれしく拝見しました。掲載されている写真は見覚えのあるものが多く、まだ実家には当時のオートスポ ーツ誌が数十冊まだ保管されているはずです。 月刊のオートスポ ーツ誌が待ち遠しく、テツの転戦レポートを真っ先に読んだものでした。そして優勝などというレポートが届くと、日本人の活躍が青少年の心にも、大変誇らしく感じたものでした。 今でも、ブランズハッチ、シルバーストーン、マロリーパーク、ホッケンハイムなどと言うサーキットの名前が口から出てきます。 彼の時代を先行した行動や実行力は日本人グレーテッドドライバーを求めたが、時代の流れがまだそうではなかった。ほんとうに残念なことでした。いつの時代もその先駆となる人々が経験する運命のようなものか。 「生沢徹」の名前は私にとっては絶対に忘れることが出来ない、私の青春のシンボルです。このHPが充実、継続されることを応援します。 1951年生まれ、K。 |
WEB
MASTER : HP「帰ってきたTETSU」を主宰しております牧野です。
K様、この度は未熟な私のHPを見て頂き本当にありがとうございました。そして、メールまで頂き感激しております。 TETSUは、私にとっても忘れがたいヒーローです。そして、TETSUさんは今だ現役で今年のニュルブルクリング24時間レースにホンダS2000で参加されクラス優勝をされるという健在振りを示してくれました。 今でこそ当たり前のスポンサー獲得や自分を売り込んでの有力チームへの参加など当時としては画期的なことでありました。 これからも生沢さんの栄光と活躍を祈って止みません。どうもありがとうございました。 |
26/SEP/2000
千葉県にお住まいのK.Kさんよりの熱きメール紹介「HP素敵です!」
生沢 徹氏 に関するHPを発見いたしまして大変嬉しく思います。 モデル・レーシング・カーも買ってもらえなかった私はひたすらプラモデルと本。 「モーター・ファン」から「オート・スポーツ」そして生沢徹氏の英国レポートを楽しみに読んでいました。 クレイ・レガゾーニなどと戦ったF2転戦記。自分は、スピード狂ではありませんが格好良く思ったなあ。 車とかレース・シーンの写真が・・・そしてそのコクピッット中で首を傾けてハンドルを操るレーサー・・・。 そんな中で生沢氏は特別に格好良かった。センスが良かった。 そのお洒落さに惹かれていたのかも知れません。 残念ながら本類は全く手元に残ってないのですが・・・・。 生沢 徹 のHPは本当に嬉しかった。 小学校高学年時代だったかな?自動車レースに興味を持ったのは・・・。 F1レースやオートバイ・レースを毎週放送するTV番組がありました。インデイ500のスタート時に16台くらいのクラッシュ事故など大々的に報道され・・・。 プラモデルでレース・カーを作っったりモーターマガジンやオートスポーツを立ち読みして・・・ F1はG・クラークのロータス、G・ヒルのBRM。プロトタイプ・カーはポルシェ、フェラーリにフォードGT40そんなときに日本GPの瀧さんのポルシェ・カレラ6、そして生沢さんのポルシェ・カレラ・・・ヨーロッパのレースで活躍、等々。雑誌のグラビアを切り取っては部屋の壁に貼り、家庭用モデルレーシグ・カー・セットは友達の家で遊び、モデル・レーシング・カー場の24分の1モデルは魅力的であっても親の許可が下りずに買えなかった。経済的なものだったか、それともスピード狂になるのを恐れたのか・・・。 透明クリア・ボデイにパイプ・シャーシーそしてスポンジ・タイヤ・・・・欲しかったなあ・・・。特に生沢さんがロータスでヨーロッパ転戦のレポートはワクワクして読みました。 日本のレースに帰ってきても勝てなくて・・・マスコミに叩かれたり・・・日本の車は欧州勢にも勝るみたいな報道に子供ながら反発していました。何故、排気量が違う車で戦っているのに・・・。ロータス69の絵は最高に格好良かった。 日の丸カラーといったって生沢さんのスポンサー・ステッカーの張り方がセンス良かったから栄えたのではないでしょうか。それにF1候補生や現役F1レーサーと互角に戦って・・・。 私はスピード狂には育ちませんでしたがレース・カーと首を傾げてステアリングを握る勇姿は格好良く、特にあの時代の車やカラーリングが好きです。ジヨー・ホンダさんのピンナップですね。生沢さんが元気なようで嬉しいです。 ますます頑張って下さい。 |
WEB
MASTER : 「くるま」村の少年たちを主宰しております牧野です。
K.K様、まだまだ未熟な私のHPを見て頂き、そしてメールまで頂き誠にありがとうございました。 私の60年代のモーター・スポーツは、生沢さんに始まり、生沢さんに終わったと言っていいほど影響を受けました。 そんな生沢さんの栄光の記録をいつまでも残しておきたいという私のワガママでこのHPを作らせて頂いたわけであります。 モデルカー・レーシングも今のプレステ以上に当時の少年たちを夢中にさせたホビーでした。 しかし、今は一部のマニアの方が続けておられる以外はまったく忘れられてしまっており、なんとか当時の興奮を記憶にとどめることが出来ないものだろうかというこれまた私のワガママでHPにさせて頂いている次第です。 ところで、生沢さんも還暦を迎えられてなおお元気なようです。 1966年から1973年まで、このHPにもこの年代を中心に展開させて頂いておりますが、実に良い時代だったと思ってます。 今は、マシンの力がドライバーに勝ってますよね! しかし、昔は、ドライバーの力量がものをいう時代だったと思ってます。だから、ドライバーが輝いていたんだと思います。 物が大切にされた時代、モデルカー・レーシングは、確かに当時は贅沢な遊びだったと思います。しかし、不良になるといわれ世間に叩かれて尻つぼみになってしまったことは本当に残念でした。 しかし、それでもなお続けられた方々からこのHPを見て頂いてお便りを頂戴し、私と同じ思いを持たれていることが分かり本当にこのHPを作って良かったとしみじみ思っているところです。 どうか今後も頑張っていくつもりですので、よろしくお願いいたします。 ありがとうございました。 主宰者
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7/JULY/2000
S.Sさんよりの熱きメール 「HP見ました!!」
はじめまして。 非常に懐かしく見させて頂きました。 感無量です! 私は当年45歳のモータースポーツ大好きオジサンです。 現在のモータースポーツ好きの原因が、「生沢徹」さん以外のなにものでもありません。 ニュルをS800で走ったころは、確か中学生でした。彼と同じカラーに塗ったメットに(当然VANのステッカーも)球面風防をつけ、横浜の杉田にあった自動車学校にKARTのライセンスを取りに行きました。 彼に憧れ、HPにあった「広告」に影響され、時計はSEIKOを買いました、表彰台でPEPSHIを飲みました、スロットレーシングカーの田宮のカレラ6は当然ボンネットが黄色でナンバーは「8」でした。 今みたいにリアルタイムに近い情報が不可能な時代だったので、「オートスポーツ」で彼の情報を読みあさってました。S800に始まり、ロータスにのれば興奮し、GRDにのれば興奮し、ポルシェにのれば興奮し。 まちがいなく、あのころはあの「セナ」以上に憧れでした。 いまだにほとんどのモータースポーツが好きだけど、あの「生沢徹」さん以上にあこがれる(この年ではちょっとおかしいが)ドライバーは出てきませんね。あの時代にモータースポーツに興味を持ったひとは、たぶん「日の丸カラー」を鮮烈に覚えているんじゃないかと思う。 純HONDAのF−1が登場するのであれば、是非「日の丸カラー」で、さらに何らかの形で生沢さんにも関わってもらいたいと思ってやみません。 ほんとに感無量なHPをありがとうございました。(まだ「チェカー旗はまだか」もってます) 最新の「ニュル」情報楽しみにしています! |
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MASTER : 主宰者の牧野です。
S様、HPに立ち寄って頂くだけでもうれしいのにこんなお褒めのメールを頂くなんて本当にありがとうございました。つくづくHPを作っていて良かったと思っております。 御年齢が45歳というとまったく私と同じ年齢でありますから当時のあの興奮をまったく同じ時間にリアル体験されたということですね! 特に小学校6年生の頃からの「日本グランプリ」は、生沢さん達の黄金の時代でしたね! その黄金の日本モータースポーツの時代を語る人間や文献が意外に少ない事が私がHPを作ったきっかけでもありました。また、同じ時期に流行っておりました「モデルカーレーシング」や「ヴェンチャーズ」、そして「加山雄三」「GS(グループ・サウンズ)」等も斉藤さんは興味をもたれたのでしょうか?ウルトラQなんてものも・・・。 なんというすばらしい時代だったのでしょうか。 生沢さんのHPを作ったのもそんな時代のヒーローだったからにほかありませんでした。 うれしいことに生沢さん御自身もこのHPをご覧頂いておりまして、私としてはもう死んでもいいくらいであります(笑)。 これからもちょくちょく立ち寄ってください。 よろしくお願いいたします。 主宰者
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