番外編 ちょっと小耳にはさんだ 鮒子田 寛 裏話公開!!? |
ここではくるま村取材班の独自の取材による独断と偏見極まる(!?)当時の鮒子田さんにまつわるエピソードを集めてみました。
本当かどうかは御本人にいずれ確認してみようと思いますが・・・(笑)。 |
第1話 当時の鮒子田さんはちょっと“エッチ”だった!?
![]() 1970年当時から行なわれていた(!?)表彰台におけるレースクイーンとのツーショットにおいて鮒子田選手は優勝者の特権を生かしてなんと・・・。 「1972年、鮒子田選手がグラチャンの表彰台で、レースクィーンの江夏夕子さんにキス。それも、ほっぺたとかではなくて、堂々と唇に・・・。」をしてしまったとの話し?!! 当時富士インター200マイルレースを観戦していました私もグランドスタンドから表彰式を見ていましたが、そういえば鮒子田さんがレースクイーンをしていた江夏夕子さんに異常接近していたのを遠めでしかと確認しておりましたが、まさか直接唇にとは・・・。本当でしょうか鮒子田さん?! ちなみに今では恒例となっているシャンペンシャワーをこの年日本で初めて表彰台の上で行なったのではいかと思われます。但し、当時はシャンペンではなくビールだったようですが・・・。 また、ファンのためにスタンドへプレゼントの投げ込みもその時初めて始めたられたようでした。そう言えば、当時、観戦していました私も見たような気がしてきました。 余談ですが、くるま村取材班の徹底的な取材によりますと当時(特に1973年頃から)のレースクイーンたちは今と違いすでにTV等で人気者であった有名トップモデルが大勢参加していました。 江夏夕子はすでに女優(レーシング・ドライバー見崎清志と共演した映画“ヘアピン・サーカス”は有名)として有名であり、1971年シーズンのレースクイーンであった八代万智子、西尾三枝子、浜かおるは、当時人気番組だった「プレイガール」の主演女優たちでありました。 その他にジャネット八田、秋川リサ等のトップモデル達も鮒子田選手の応援ガールズとして参加しており、まさに富士グランチャンは「レース・クイーン伝説」の発祥の地と化していたのでありました。特に鮒子田選手の応援団のモデルたちはなんと“ノー・ブラ”で揃いのTシャツとホット・パンツ(今のようにボディコン、スイム・ウエアではないが・・・、いかにも1970年代ぽいスタイルです)を着て今で言う「キャン・ギャル」としてレースを盛り上げていましたので、カメラマンたちがそれらモデルたちを囲んで離れなかったことが強く印象に残っています。 |
第2話 盛大に開かれた1972年富士グランチャンピオン表彰式!!
![]() 1972年、グラチャンのシリーズチャンピオンの祝賀会を銀座東急ホテルで開催、スポンサー、ドライバー、レース関係者、プレス等を招待した(応援し・支援してくれた皆さんへのお礼として、励ます会の形式をとり開催したそうだ)。 ここに当時のパーティの模様が1973年AUTO SPORT誌1月15日号に掲載されていましたので引用活用させて頂きます。 「“GCのシリーズ表彰式が盛大に” 11月27日午後6時から、東京都中央区丸の内の“丸の内精養軒”で、富士ビクトリー200キロとGC選手権の表彰式とレセプションが行なわれた。 当日は、出場ドライバーを始め関係者がほぼ顔をそろえ、会場は大にぎわい。 森下富士スピードウェイ常務の挨拶の後、まず富士ビクトリー200キロの表彰。途中30分のインターバルをはさみ、続いてシリーズ選手権の表彰が行なわれた。 今回で3連勝を飾った高原敬武選手や、グランチャンピオンの栄冠を獲得した鮒子田 寛選手は、主催者やスポンサーから贈られた数々のカップ・副賞に囲まれて上機嫌。その後のレセプションでは、GCの思い出話に花を咲かせていた。 なお、本誌も協賛した“72ルーキー・オブ・ザ・イヤー賞”は、漆原徳光選手に贈られた。」 上の鮒子田選手の笑顔を見ていると本当に気分は最高という感じですね!! |
第3話 トレーニングで勝利を誓う鮒子田選手!?
久しぶりの“裏話公開”ですが、1973年シーズンに備えての鮒子田選手の秘密(!?)トレーニングの写真が手に入りましたので紹介したいと思います。
という珍しいトレーニングの場面をレポートしたこれまた珍しい記事でありました。
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(C) 15/AUG/2001 Textreports by Hirofumi Makino.