M6BとM12の基本と違いを述べるならば、スチール製バルクヘッドにアルミパネルを接着やリベット留めして作られたフルモノコックは、ホイールベース93.5インチ=2400mmで基本的に同じだが、両側のサイドポンツーン内に25ガロンづつの燃料バックが入って50ガロン積めるのがM6B。M12では、ドライバーの膝下にももう一つのタンクを持ち、合計52ガロンのガソリンを積める。また、M6Bでは、フロントトレッド52インチ、リアトレッド52インチだが、サスペンションアーム類が異なるM12では、フロントトレッド57インチ、リアトレッド55インチに広がり、ホイールもフロントが15インチ径の8.5インチリムが10インチに、リアが15インチ径の13.25インチリムが15インチに拡大されてより太いタイヤを履けるようになっている。M6Bのオーナーが69年シーズンを戦う為にM12にコンバーション出来るなら、そのコストを払ってでも戦闘力を高めたかったであろう。

 トロージャンの工場を出荷されて、カスタマーの元に届けられたマシンは、ブレーキ等の整備をすれば走り出せる状態ではあったろう。しかし、レースに勝つ為にはレース毎、サーキット毎にセッティングを変更したり、モディファイしたりしてマシンを仕上げて行かなければならない。1970年初頭、酒井レーシングでも現在セルモレーシング代表の佐藤正幸氏がチーフメカニックとして働いていた。ちゃんとしたセッティングデーターもないままでエンジンオーバーホールを行ったり、苦労しながらマクラーレンM12を走らせていた。トニーは、佐藤チーフの仕事振りがレストアしてバラして見ると良く理解できたという。

トニーとグループ7Ltd.

 ダイレクトメール等の商業印刷物を作る印刷会社を経営していたトニー・ロバーツは、大排気量のコルベットC2やC3でクラシックカーレースに参戦していたが、そこでダンカン・フォックスと知り合って意気投合し、印刷会社を売って、グループ7Ltd.を立ち上げた。
古いグループ7レーシングスポーツカーのレストアを得意とするが、フォーミュラマシンのレストアも手掛ける。3年前までは、工業団地の中にワークショップを構えていたが、見学者が多くて仕事に集中出来なくなったので、ダンカンの所有する農業の納屋に引越してきた。
扉を閉めた状態では、中に何台ものレーシングマシンが収められているとはわからないだろうが、NC旋盤を始めとする工作機械が揃ったワークショップである。2003年4月の時点では、ワークスが組み上げた1970年シーズンのフォーミュラ5000マシンのM10B、つまり量産型のプロトタイプとしてコーンブルックで設計、製作、開発を行った後、トロージャンに引き渡されたマシンである。それとクリス・エイモンが乗ったというヒストリーを持ったフォーミュラ5000のレストア作業を受けていた。元ワークスのM8AとM8Bもモノコックシャシーのレストアが完成した状態であり、スペースフレームのマシンは、M1Bで、これもコーンブルックのワークスで組まれたプロトタイプで、角形断面の鋼管を使ってあるのが、他の量産型M1Bとは異なるという。ここには、バルサ材をアルミ板でサンドウィッチしたモーラントを貼ってシャシーの剛性を上げようとした形跡なのだという。
 アメリカのマクラーレンコレクターのピーター・マシュウズ氏所有の1972年型M20がレース中にクラッシュして全損状態になったモノコックが送られてきて、オリジナルのパーツで使えるものを外してからモノコックを新築する作業が行われていた。ドリルでリベット用の穴を開けたり、ヤスリで削ったりしながらの手作業である。コーンブルックのワークスで組み立てられていた時と同じやり方だが、数人のメカニックでレースの準備として短期間に作業を進めなければならなかった当時と比べて、若いマイケル・ロバーツ(トニーと同じ性だが縁戚ではない)がたった1人で作業を担当しているので、完成までには、何ヶ月もの時間は掛かるだろう。エンジンを組んだり、小物パーツを旋盤で削って仕上げたりまで、ここでは塗装以外のレストアに関する殆どの作業をこなす事が可能である。
(右の写真は、マクラーレンM20のモノコックシャシーを製作しているところと、レストア中の元クリス・エイモンが乗ったヒストリーを持つM10B)


TOP : An ex-Chris Amon's McLaren M10B.

ミノルタ・マクラーレンM12回帰 !! 

 中に入った時、日本から嫁いで来たM12は、リフトに乗せられていた。「ピットイン」でガラスの箱に入れられて26年の眠りについていたシンデレラは、非常に保存状態が良く、こちらでバラバラの状態にしてレストア作業を行った時にもモノコックシャシーは手をつける必要もない状態で、当時のペイントそのままの状態である。カウルは、紙やすりで何層にも塗られたペイントを剥がす手作業を3人がかりで1ヶ月近くかけてやり、下地を充分に整えてから塗装したので非常に美しく仕上がっている。こちらでやった改造は、走らせてみると由良拓也さんがM8Dのように改造してボディ後半でのダウンフォースが増やされているのに、フロントが相対的に浮くような感じがしたので、スポイラーを追加したのと、トランスアクセルのオイルクーラーが低い位置に取り付けられていて跳ね石で破損する可能性があったので、リアカウルにNASAダクトを開けて、ヒューランド製LG500トランスアクセルの上部にオイルクーラーを移動した事である。リフトから降ろしてワークショップの前に引き出して自動車用のバッテリーをつないでクランキングさせると最初は身震いするような音を立ててエンジンが目覚め、プリッピングを数回しながら回転を保つと、安定したアイドリングに移った。
「シゲル、じゃあ動いているシーンを撮影したいんだろう!?」と言いながらトニーはレーシングスーツに着替え始めた。ここから近くのサーキットまでトレーラーに載せて運ぶのかと思ったら、農場前の道で走らせるという。日本では考えられない事をニュージーランドの田舎道では出来るのだ。いくら交通量が少ないとはいえ、現地の人だって自家用車で道を走っていてマクラーレンM12に遭遇したら驚いてハンドル操作を誤るかもしれない。特製のマフラーを備えて音を抑えているとはいえ、勇ましい音を立てながらトニーは農場の前の道を数回往復してくれた。


TOP : An ex-Sakai's McLaren M12 at Group7 Ltd in Auckland.

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(C) Photographs and text report by Shigeru Miyano.