(C) Photograph by Yoshiyuki Tamura.



 遂にその日がやって来た!
2007年4月26日、午前11時。静岡県御殿場駅にて“くるま村取材班”と待ち合わせて一路富士スピードウェイに向かう。

 1970年、東京晴海で開かれた「第3回東京レーシングカーショー」で初めて対面してから丁度37年。
あの1969年日本CAN-AMでオートコーストTi22を下し、優勝したウイング付き V8 5リッター“トヨタ 7”が今私の目の前にある。しかも、これからエンジンを始動するところなのだ。
幾分アイボリーかかったホワイトにブルーの太いラインのマシンの右サイドから、まさに搭乗しようとしているのは、当時、亡くなった川合 稔と共にチーム・トヨタで活躍したエース・ドライバーの鮒子田 寛氏だ。

 日本CAN-AMを制してから38年の月日が経過したが、私の目の前にある トヨタ 7 は、レストアされたばかりの新車である。
「グォ〜ン、グォ〜ン、グォ〜ン・・・」とニッサンのV12とはまた違う野太いエンジン音・・・。富士グランチャン創世記に活躍したマクラーレンのアメリカンV8とも違う、繊細なDOHCエンジンの音だ!
新生富士スピードウェイは晴天。午後1時より1時間トヨタモータースポーツの占有使用となっている。
後5分で1時だ。鮒子田氏が「さあ、行こうか!」とそれまでの穏やかな顔つきとはうって変わってドライバーの顔になっている。
日本CAN-AMにおいて鮒子田氏は、マクラーレンM12のシャーシにトヨタエンジンを載せた“マクラーレン・トヨタ”で出場し、予選においてあのオートコーストTi22に次いで2番手でスタートしたものの、エンジントラブルでリタイヤしている。変わって優勝したのが今まさにコースインしようとしているこのマシンなのだ。

 ところで、なぜ今このマシンをレストアしたのだろうか。その答えは簡単だ。販売台数で世界一になろうとしているトヨタ自動車は、イギリスで開かれる世界最大のヒストリックイベントである“グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード”に、トヨタモータースポーツとして今年も参加する。そして、実際の国際レースに優勝した実績のあるこのマシンを出場させることが必要になってきたからだと思われる。そして、ドライバーも元チーム・トヨタの鮒子田 寛氏が受け持つ。
鮒子田氏は、2003年まで、イギリスのr.t.n(レーシング・テクノロジー・ノーフォーク)で役員まで務め、近年のベントレー優勝に貢献しており、ドライバーとしてもモータースポーツ界の顔役としてもトヨタとしては格好の人選なのだ。

 さて、今回も4月26日と5月14日の両日共にトヨタ7のシェイクダウンに、くるま村取材班として、また鮒子田 寛氏の私設マネジャーとして同行した田村氏の取材コメントを紹介しようと思う。
そして、この場を借りて、素晴らしい場を私たちに与えてくださった鮒子田 寛氏にお礼を言いたいと思う。
 


TOP : '69 Japan Can-Am Winner Toyota-7 V8 5000cc with Hiroshi Fushida at Fuji in May 14, 2007.
(C) Photograph by Yoshiyuki Tamura.

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(C) Photographs, textreport  by Yoshiyuki Tamura.

(C) Photographs by Bon Makino.

Special thanks Hiroshi Fushida.