![]() (C) Photograph by Yoshiyuki Tamura. |
1960年代後半より始められたトヨタ自動車の本格的なモータースポーツ活動は、今年で40年を迎える。1966年に開催された第3回日本グランプリに参加したトヨタ2000GTは、チーム・トヨタ発足後初のグランプリ参加であった。 翌年1967年は、年一回のグランプリには参加せず国内長距離レースに標準を合わせ鈴鹿や富士を席巻。また、その2000GTを使用し、谷田部において、72時間トライアル走行を実施、世界、国際記録樹立もやってのけた。トヨタは本気であった。後は日本グランプリを制覇するだけである。 そして、迎えた1968年第5回日本グランプリには、満を持して自社製3000ccV8エンジンを搭載した"TOYOTA 7"を参加させた。 しかし、そこには予想を超える壁が立ちはだかっていた。ニッサンである。 1966年にプリンス自動車を吸収合併させてそのレーシングカー技術を持つ日産自動車は、グランプリ制覇だけを目的に参加し続けていた。 1968年では5000ccのR381に、1969年では、6000ccのR382に排気量の差で破れ、そして、初めて掴んだ栄光はニッサンのいない1969年日本CAN-AMでの優勝だった。 その後諸般の理由でビッグマシンによる日本グランプリは中止。遂にトヨタは日本グランプリで勝つことが出来なかった。 そして、80年代のル・マン挑戦、WECへのグループCカーでの挑戦。国際ラリー選手権での勝利。インディー。 21世紀に入り、トヨタは遂にF1へと打って出る。 こんなトヨタ自動車のモータースポーツでの歴史を凝縮したイベントがお台場メガ・ウェブで9月23日に盛大に開催された。
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(C) Photographs, textreport by Yoshiyuki Tamura.
Special thanks Hiroshi Fushida.