田村三夫登場!!

 さあ、いよいよ '60sチーム・トヨタの大先輩格である“田村三夫”氏の登場である。
田村三夫氏というとどうしても1966年「第3回日本グランプリ」を思い出してしまう。
必勝を喫してエントリーしたチーム・トヨタが誇る2台のトヨタ2000GT。
しかし、赤とシルバーに塗られた2台のトヨタ2000GTは、将来的に市販を前提としたグランド・ツーリングカーであり、プロトタイプスポーツカーの宿敵プリンスR380とは所詮クラスが違っていた。そんな状況の中で開幕したグランプリの予選で雨ということも多分に味方したとも言えるが、田村三夫のトヨタ2000GTが北野 元のフェアレディSについで2位を獲得する快挙を達成したことは特筆に値する出来事だった。
決勝は、快晴。トヨタ2000GTの勝算は皆無に等しい状態となってしまった。しかし、田村のトヨタ2000GTは、スタートからプリンスやポルシェカレラ6などの高性能プロトタイプ勢を向こうにまわしトップで第1コーナー30度バンクに突入していたったのだ。その後プロトタイプカーの後塵を喫したがトヨタ勢のトップで周回。しかし、不運にもラジエターにコース上に舞っていた新聞紙を吸い込んでしまい、それがもとでオーバーヒート。結局リタイヤしてしまう。
グランプリを終えた田村は、その後トヨタ2000GTで細谷らと共に、鈴鹿1000Kmレースなどで活躍し、初期のチーム・トヨタの中心的ドライバーとしてチームを支えた。
 当時の赤いヘルメットでこそなかったが、黒のヘルメットを被った田村氏はまさしく当時のチーム・トヨタ ドライバーになっていた。細谷氏ら全員が見守る中、田村氏のセラはさっそうとスタートして行った。


TOP :Mitsuo Tamura ( Leftside).
Meeting !! Misaki ( Leftside), Tamura ( Center) and Tsutsumi ( Rightside).

TOP :  Take over to Mitsuo Tamura from Hiroyuki Kukidome.

TOP : Driven by Mitsuo Tamura at hairpin.
(C) Photographs by Hirofumi Makino.

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(C) Photographs, textreports by Hirofumi Makino.