THE CHALLENGE OF LE MANS WITH SIGMA
WHY, HIROSHI FUSHIDA CHALLENGES TO A LE MANS ?!

TOP : TETSU IKUZAWA and his SIGMA MC73.
(C) Photograph by Joe Honda.
 スタート前、シグマMC73と共にコース上に立つ“生沢 徹”。国際レースに多くの経験を持つ生沢は、シグマにとって大きな味方となった。生沢は、1968年のマニファクチャラーズ・チャンピオンシップの最終戦ワトキンスグレン6時間レースにワークス・ポルシェ908を駆り出場、相次ぐワークス908のマシントラブルの続く中、生沢の乗る908が唯一の生き残りとなり、総合6位を得る原動力となる活躍をみせた。また、1967年の国際レース「ニュルブルクリンク500Kmレース」においても、プライベート・エントリーながらホンダS800でクラス優勝するなど生沢のビッグ・レースにおける実績は今回のル・マンにおいても重要な意味を持つものと思われる。

TOP : TETSU waited a start at a starting gird.
(C) Photograph by Joe Honda.

TOP : A meeting ?! Tetsu and Hiroshi.
(C) Photograph by Joe Honda.
 テツが日の丸をあしらったヘルメットをゆっくりかぶる。そして、7列目左側に並んだシグマMC73のコクピットに彼が沈んだ。オーナーの加藤氏が「完走を目指してペースを落として走れ」と指示。うなずくテツ。やがて、コース上はマシンとドライバーだけとなった。55台のマシンからいっせいにエンジンの咆哮が上がる。そして、カレラRSの先導によるローリングが開始された。
----ときに1973年6月9日午後3時55分。待ちに待った日本製マシン/日本人ドライバーによるル・マン挑戦の幕が切って落とされたのだ。

 この一節は、1973年発行の「AUTO SPORT」誌8/1 NO.123に記載されていた「ル・マンの空に“日の丸”燃ゆ」の中から抜粋引用させて頂いたものだ。

 さて再びオートテクニック誌に書かれている鮒子田 寛の一節を紹介しよう。
 
 いよいよ待望のルマン24時間はスタートした。ステアリングを握るテッちゃんの姿はあくまでもりりしく、ほぼ予選順でピット前を通過する。応援団の歓声が、自然にひときわ高まっていた。
 スタート後5周目に、わがシグマはピットインした。最終的なチェックを行なううえでの予定のピットインで、ここにも24時間に完走したいという心意気がにじみでているのがわかるだろう。このピットインでは、心配された問題も解消され、即座にシグマはコースに戻って行った。
 20周後、再びピットイン。テッちゃんから僕へとドライバー交代である。シートベルトを締め、いよいよスタートという時、エンジンがかからない。各クルーが総動員でその原因究明にのりだし、バッテリーがチャージしてないことが明らかになった。そこで、バッテリーを換え、配線を直すのに約20分、ようやく高らかにエンジンが始動した。


TOP : Driven by Tetsu Ikuzawa with SIGMA MC73.
(C) Photograph by Joe Honda.


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(C) Photographs by Joe Honda.