![]() TOP : Hiroshi Fushida. (C) Photogarph by Joe Honda. |
第50回を迎えた1973年「世紀のル・マン24時間レース」は、まさに60年代のフォード対フェラーリを彷彿させるようなトップ争いが展開された。
ローリング・スタート共にトップにおどり出たのはワークス・フェラーリ312PBを駆るA.メルツァリオであった。その後をフランスの栄光を背負ったF.セベールのマトラがピッタリとつける展開。 フェラーリ、マトラ、フェラーリ(C.ロイテマン)、マトラ(J.P.ジャブイーユ)、これはイタリア対フランスの代理戦争か? 最初のピットインをしたメルツァリオのフェラーリは、あっさりセベールのマトラに首位の座を明渡す。 夜に入ると、ワークス・マトラの一角が崩れた。そして、トップは、ロイテマンのフェラーリ。続いてJ.イクスのフェラーリが占めてフェラーリのワン・ツー態勢確立かと思われた。 ところが、24時間の半ばにしてロイテマンのフェラーリがクラッチトラブルの為後退、イクスのフェラーリがトップへ進出。しかし、2位には4〜5分の差でペスカロロのマトラが迫っている。 そして、トップを走るイクスのフェラーリが10日午前9時すぎにピットイン、その間隙をついてペスカロロのマトラが遂にトップに立つ。その後イクスは激しくペスカロロを追うが遂にトップに届くことなくリタイヤしてしまう。 かくてH.ペスカロロ/G.ラルースのフランス人コンビの駆った#11マトラシムカMS670は2位#16A.メルツァリオ/C.ペイスに6周の大差をつけて優勝、2年連続の快挙を達成したのだった。 |
![]() ![]() TOP : The War !? Ferrari 312PB VS #11Matra MS670( Winners car) in 1973. The Matra gots a win that it was a win of all french drivers and machine. (C) Photographs by Joe Honda. |
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さて、シグマ・チームの活躍に話を戻そう。午後5時、スタートしてから1時間めのシグマの順位は36位。
グループ5クラス(プロトタイプカー)では20位の位置にある。13周を走ったことになるのだが、同周回でポルシェ908/2やローラT290などがおり、トップのフェラーリ(A.メルツァリオ)はすでに15周を消化している。 ![]() ![]() TOP : From Tetsu to Hiroshi ( Leftside). Hiroshi and his SIGMA MC73. (C) Photographs by Joe Honda. |
![]() ![]() TOP : From Hiroshi To Tetsu at a sigma's pit. (C) Photographs by Joe Honda. しかし、本来は鮒子田からP.ダルボへのチェンジのはずだったのだが、ここで1つの問題が発生し、急遽再び生沢が乗ることになってしまったのだ。その問題とは鮒子田 寛は正式エントリードライバーであったのだが、第3ドライバー(リザーブ・ドライバー)としてエントリーしていた為、本来は第2ドライバーとしてエントリーしていたP.ダルボが2番目に乗る事が義務づけられていたにもかかわらず鮒子田が2番目に乗ってしまったことで、主催者側からクレームが出てセカンド・ドライバー(P.ダルボ)は翌日の6時まで乗れないという事になってしまったからだった。 ところが、そのオフィシャルからのクレームもその後フランスお抱えのマトラ・チームでも同じことが起こり、なんとオフォシャルはマトラ・チームを許してしまったことで、すぐさまシグマ・チームもクレームが解除され、早速P.ダルボが乗り込むことになったのはいうまでもない。 ところで、上の写真の中に当時のドライバー仲間であった浅岡重輝(左写真左奥)や高原敬武(右写真真中奥)が応援に来ているのが見える。 |
(C) Photographs by Joe Honda.