1964年というと、40歳以上の日本国民なら、どうしてもあの“東京オリンピック”が開催された年だと思ってしまうのが常である。しかし、私のように、東宝映画 円谷英二特殊撮影監督の名作と名高い「3大怪獣地球最大の決戦」が上映された年などと思ってしまう変り種(?!)もいるのである。
ところで、日本モータースポーツ界に目を向けてみるとどうだろう!? やはり、鈴鹿サーキットで開かれた「第2回日本グランプリ」をトップに上げないわけにはいかない。
その前年、1963年に完成したばかりの鈴鹿サーキットにおいて、記念すべき「第1回日本グランプリレース」が5月2日〜3日の2日間開催され、延べ20万人とも言われる観衆を集めたのであるから、その第2回目というだけでもっと注目を浴びても良いわけであるのだが、なにせ相手が世界のオリンピックであり、国家の威信を賭けた大イベントであったため、第2回日本グランプリは、あくまでも趣味の分野で注目を浴びたとイベントだったと思われる。しかし、観客数はというと、約10数万人と言われ、趣味の分野のイベントと済ますわけにはいかない内容であったのも確かであった。
 また、日本における日本グランプリ開催の宣伝にしても、一般的ではなく、自動車メーカー経由で自動車関係会社を通じて一般に伝達されるという、今では考えられない報道の仕方であったようで、当時小学校3年から4年生であった私などは、第1回から2回にかけての開催された記憶は、全くといって良いほど覚えていない。それよりも、東京オリンピックやJFK暗殺の報道の方がよほど記憶に残っている。当時の記録を調べるには、やはり、モータースポーツ専門誌を探すしかなく、現在も発売されている“AUTO SPORT誌”や“カー・グラフィック”誌の報道が一番大きかったように思う。特に、AUTO SPORTは、第2回日本グランプリ特集が創刊号となっており、60年代後半のあの異常なまでの盛り上がりをまだ当時は知る由もないし、誰が予想しえただろうかという感じが正直なところだ。
 そんな中での、第2回日本グランプリだったが、ちゃんとTV放映されていたのだった。以下、ご紹介する画像は、当時、お茶の間TVと鈴鹿で、同時に撮影された貴重な映像である。これは、撮影者の林 一彦氏が、8ミリ映写機の映像を、わざわざビデオにダビングして頂き、当方で画像に転換したものである。
やや画像が荒く、はっきりしないところもあるのだが、当時の雰囲気が十分伝わるものと確信している。この企画も、林氏の映像あっての企画であるので、改めて林氏にこの場を借りてお礼を申し上げたい。

Bottom : The early stage of 2nd Japan GP "JAF Trophy Races" that Peter Warr's new Lotus 27( Leader car) and Michael Knight's Brabham BT-1or2.
M.Knight gots a win in this race.
(C) Photographs by Kazuhiko Hayashi.
 上の写真は、前回の世界の新旧スポーツカーを集めて行なわれた“国際スポーツカーレース”に変る、国内初となるフォーミュラ・ジュニアカーのレース“JAFトロフィーレース”のものである。撮影場所は、実際にバックストレッチとヘアピンカーブで撮られたもの。
 このレースの注目は、なんといっても、前年の国際スポーツカーレースの優勝者である“ピーター・ウォー”選手が、最新のモノコックシャーシを持つ“ロータス27”と共に乗り込んで来たことだろう。ロータス27は、あの“ジム・クラーク”が乗って1963年のF1チャンピオンとなった名車“ロータス25”の伝統を継ぐFJマシンだ。エンジンは、フォード・コスワース105E(1100cc 108ps/9000rpm)を積む。
 ロータス車は、それ以外にも、旧型の"15"、"18"、"20"、"22"が登場。シャーシは共にスペース・フレームで、エンジンもほとんど"27"と同じチューニングのフォード・コスワース。
 また、前年ロータス23で活躍したマイケル・ナイト選手は、ブラバムFJ( BT-1かBT-2と思われる)を持ち込みウォー選手に対抗。ブラバムは、ロータスと比べてかなり標準的な仕様で、鋼管スペース・フレームとフォード・コスワース105Eエンジンの組み合わせだ。
その他、クーパーBMC( 多分MK-I )、エルヴァFJ( MK-5 )、そして、国産勢としては、いち早くオリジナルマシンを作り上げたデル・コンテッサが3台登場した。
 そして、優勝を手にしたのは、なんと最新のロータス27のピーター・ウォー選手ではなく、マイケル・ナイト選手が乗るブラバムに輝いた。ブラバムのオーソドックスな性能が最新のロータスを上回った勝利だった。

 それにしても、上の画像ののどかな観戦模様はどうだ。ヘアピンの内側にシートを敷き(レース中に自由に入れるとは・・・・)、遠足気分でレース観戦する観客。それだけまだサーキットでの安全性などが確立されていない時代のレースだったといえる大らかさだ。現在の筑波サーキットなどで開かれている、ヒストリックカーイベントでの観戦と様子が似ているともいえる。
 

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(C) Photographs by Kazuhiko Hayashi.