TOP : Prince R380 in speed record tria in 1965.
This is a composite photo of the actual car replaced with a model car.

 
 
 世界を抜く

 堂々6国内記録を樹立!!
 プリンスR380スピード記録会
 提供・プリンス自動車


 上の勇ましいコメントは、プリンス自動車の会報誌の表題である。
1965年10月6日と14日の2日間、高速試験場「谷田部(1周 5.47359Km)」で繰り広げられたスピード記録会は、波乱に満ちたものとなった。
諸般の事情で中止となった「第3回日本グランプリ」で、プリンスR380のデビューを考えていたプリンス自動車は、急遽、開発中の日本初のミッドシッププロトタイプカー“R380”の実力を試すためにスピード記録会に挑戦することを選んだ。
 目標とする記録は、国際自動車連盟が定めたEクラス(1,500cc-2,000cc)の7種(50km, 50miles, 100km, 100miles, 200km, 200miles,および1時間) の国際記録への挑戦である。

 しかし、当時の谷田部高速試験場は、FIA(国際自動車連盟)の公認コースではなかったため、プリンスのスピード記録は、JAF(日本自動車連盟)公認の国内記録に留まり、世界記録のタイムが出ても公認されないのは残念であった。

 そして、10月6日を迎える。順調に見えたスピード記録会で、6つの国内記録と4つの国際記録を樹立し、最後の200マイルまであと少しのところで事故は起こった。突然コントロールを失ったR380は、もんどりうってバンクを転げ落ちてクラッシュしてしまう。
運良くドライバーの杉田選手は軽い切り傷ですんだが、マシンは見る影もなく壊れていた。
原因は色々あるが、前輪のタイヤか、フロントサスペンションのトラブルと思われる。

 その後、メカニックの努力で10月14日に再び谷田部に現れた"R380"は、今度は最後まで走り切り無事に初回の記録を更新して記録会は終了した。
 
 翌年、ご存じ通り、場所を鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに移して「第3回日本グランプリ」が開かれ、2年間の成熟期間を経たプリンスR380は、優勝することが出来た。しかも、打倒ポルシェ904!!を掲げて開発したマシンが、904の進化型であるポルシェのニューマシン“ポルシェ・カレラ6”を破っての優勝であったのだからプリンス・チームの喜びは想像に難くない。
 色々なトラブルを解決することが出来た1965年のスピード記録会挑戦あって、この優勝を得ることが出来たのだから、決して記録会挑戦は、間違いではなかった思う。
 
 
 

 TOP : Tokyo Motor Show in 1965.
This is a composite photo of the actual car replaced with a model car.
 
 
 2日間に及ぶスピード記録会において、国内記録および国際記録を樹立した"R380"は、プリンスの思惑通りにその年の東京モーターショーに堂々と展示することが出来た。
 次の目標は、翌年に開催予定の「第3回日本グランプリ」に競争力のある"R380"を作り上げることだ。もちろん最終目的は、「優勝」である。
 

 
  TOP : It is a box picture of a Tamiya slot car.
However, it is a composite photo with the illustration replaced with a model car.
(C) Photographs and built by H.K.

 
 
 さて、前置きが長くなってしまったが、MSLリターンズ第1号よりスロットカー製作でご協力頂いている“H.K”氏に今回も素晴らしいスロットカーを製作していただいた。 ビンテージを基本として、当時のスロットカーを元に、よりリアルに製作するというコンセプトは、今回も継承されている。
 まずは、再販ボディが遂に発売されなかった“プリンスR380”の製作記をご紹介したいと思う。
 
 
 次のページへ続く
 GO TO NEXT PAGE


GO TO TOP

GO TO TOPPAGE

(C) Photographs and built by H.K.