(C)Photograph by Bontaro |
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さて、国産クリヤーボディが市販パイプシャーシおよび自作シャーシなどと共に進化を続けることができたのはなぜだろうか。 それは、それらがモデルカー・レーシング連盟公認レースで活躍したことがエンドユーザーの注目を集め、販売促進に繋がったことと、モデル・スピードライフ誌などのスロットカー専門誌がそれらの製作記事を積極的に特集したことや各メーカーの宣伝も大きく影響したものと考えられる。 このページは、当時のオール関東選手権や全日本チーム対抗選手権などの結果を見ながらその進化の過程を見ていただこうかと思う。 1965年11月28日 東京中野サーキットで開かれた「第1回オール関東モデルカー・レーシング選手権大会」は、クリヤーボディの今後の在り方とシャーシの進歩の行方を占うための最初のレースとなった。 このレースはチーム対抗戦であり、全日本選手権がまだ行われていなかった日本モデルカー・レーシング界において、実質的な全日本選手権といっていいほどの規模でおこなわれた。 クラス分けは、1/32スケールオープンクラス(フォーミュラ、GT混合)、1/24スケールGTクラス、1/24スケールF1クラスの3クラスで争われた。ちなみに、ストックカークラスはまだない。 結果として、下記のようなボディ&シャーシが結果を残した。 |
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第1回オール関東モデルカー・レーシング大会
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この第1回オール関東選手権には、後にその圧倒的なスタートダッシュで優勝し、伝説のスロッターとして名を残すことになる“鳥海 志郎”氏が1/32クラスに登場、優勝している。 このレース結果を見て言えることは、すでにクリヤーボディ使用は常識化してきており、勝利するための必需品となりつつあった。 国産クリヤーボディについては、発売したばかりと思われる“大阪コンパ製インディ500”と“緑商会ロータス30”が早くも登場し、結果を残している。 そして、第2回を迎えた“オール関東モデルカー・レーシング選手権”は、1966年3月26−27日、東京タワーサーキットにて盛大に行われた。 やはり、第1回同様に優勝、2位、3位を比べて見ることにしよう。 このレースより、後発のライト工業製クリヤーボディが多々使用されている。ライト工業のラインナップは、低重心のロータス40やエルバ、ローラT70、チャパラルなどが中心となっており、レース向きなボディが多かったのがレース参加者に受け入れられたのだと思う。また、1/32では、実車は旧式だが幅が広いインディロードスターがラインナップされていたことで、レース参加者にライト工業を選ばせたのではないだろうか。ただ、車の認識はメーカーにもまだわからなかったようで「インディ500F1」などという名称がついているのが微笑ましい。 新たにレースに加わったストッカークラスは、規定がかなり厳しく実車に出来るだけ近いボディであることが必然なリアル志向な規定となっており、クリヤーボディ使用は許されていない。 シャーシについては、まだ既存のメーカーシャーシを改造したものが多く、初期のレースならではの結果かと推測される。緑商会のシャーシが意外なほど使用されているのが少々驚きであるが、真鍮製で低重心のその改造しやすい構造などがマニア受けしたのではないだろうか。 そして、注目はなんと言ってもタミヤ製マクラーレン・エルバ用の真鍮製スプリングサスペンションシャーシの活躍である。真鍮製であることから、あらゆる改造が可能であり、GTクラスおよびストックカーまであらゆる車種に対応できる当時の万能型シャーシだったと言える。また、シャーシ単体でも販売されていたため、しばらくはこのシャーシ(タミヤA-B型シャーシ)が国内レースを席巻することになる。 |
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第2回オール関東モデルカー・レーシング大会
オール関東選手権の開催が3月のためライト工業ではない可能性あり。 ただ、形がそっくりであり試験的なテストを兼ねたのかもしれないが。 続けて、1966年8月14日 科学技術館サイエンスモデルサーキットで開催された 「第2回全日本チーム対抗選手権大会」の結果も見てみよう。 *第1回は、1965年8月22日 同じく科学技術館で行われた 「第1回オール関東サーキット対抗選手権大会」が実質的な 第1回全日本チーム対抗としておこなわれたが、上位入賞車両 の詳細が記載されていないため省かせていただいた。 |
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第2回全日本チーム対抗選手権大会結果 *1/32オープンクラスは廃止されて、GTクラスが GT I-IIとGTIIIの2クラスに分けられている。 GT II: 実車のエンジン排気量2リッター以下 車幅75mmまで。 GT III : 実車のエンジン排気量2リッター以上 車幅80mmまで。 F1: 実車が1.5リッターないしは3リッターのF1に限定。インディカーや古いF1は除外。
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この「第2回全日本チーム対抗選手権大会」は、過去のオール関東などとはだいぶ車両規定が変更になっており、出場チームも新たに車両を作り直すなど苦労があったように思われる。 クラス分けも、今までの1/32オープンクラスがなくなり、1/24GTクラスがGT-IとIIクラス、GT-IIIクラスの2つに分けられたこと、今まで参加可能だったインディカーや古いF1(メルセデス・ベンツなど)が除外されて、1.5リッターと3リッターのF1に限定されたことが大きな変更点だ。 さらに、タイヤ径などが各クラスごとに決められているので製作者は大変だったのではと想像する。 また、新たにストックカークラスが設けられ、他のクラスとは1線を引く、厳しいレギュレーションの中で争うことになる。 さて、ボディを見ると、ライト工業の躍進が目覚ましい。 第2回オール関東頃からほとんどのクラスでライト工業のクリヤーボディが使用されているのがわかる。 その躍進の理由はいくつか考えられる。 ライト工業ば大阪コンパやゴーセンより後発であるが、発売した車種が重心の低い2座席レーシングスポーツが多いこと、実車を忠実に再現した原型、そして、第2回オール関東用とも思われる材質変更により従来品より軽量に仕上げた「スーパークリヤーボディ」を発売したことなどがあげられる。 特に材質を今までのフイルム系ブチレートからボリカボネイトに変更したことにより、強度も強くなり、さらに軽量に仕上がったボディはレース出場者にとっては願ってもないものだと思う。 ただ、値段が高い。 この「スーパークリヤーボディ」についての特集が元祖モデル・スピードライフ誌に組まれているのでご覧あれ。 |
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ライト工業は、「第2回全日本チーム対抗選手権大会」の新規定に合わせて、F1クラスにもニューボディを発売している。 “国産フォーミュラ”と書かれているが、実際は1965年までF1世界選手権で活躍していた“HONDA RA272”(1.5リッター時代の1965年メキシコGP優勝車)だ。 他社は新F1クラスのルール発表の段階では新しい規定に該当するクリヤーボディのアイテムを持っておらず、ライト工業だけであった。 同じことがGT-I, II クラスにも当てはまる。 クリヤーボディで該当するのは、ライト工業では、プリンスR380、ディーノGT。そして、やっと名前が出てきた“クライマックス”の“ポルシェ・カレラ6”である。 これらGT-IIクラスに該当するが、スタイリングの良さと同年の第3回日本GPに登場した“カレラ6”の人気は高かったようで、購入頻度はクライマックスの一人勝ちだったのではと想像する。 ただ、このカレラ6は、幅が80mmぐらいあったため、車検をパスするために両サイドをへこませていたという製作者談話を聞いたことがあったが・・・・。 1966年の後半、ライト工業は売上向上のために「ライトグランプリ」なる自社イベントを地元大阪ではなく東京で開催、さらなる躍進を図っている。 先発の大阪コンパやゴーセンとのクリヤーボディ部門での売り上げトップを狙うための販売促進だと思われる。 そのためにいち早く “第2回全日本チーム対抗選手権大会” の新規定となったF1クラスに該当するアイテムを商品化したのではないかと思われる。 |
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モデル・スピードライフ誌1966年10月号NO.12 クライマックス製の“ポルシェ・カレラ6”が モデル・スピードライフ誌の製作記事に取り上げられた時の表紙 |
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クライマックスのクリヤーボディが最初にモデル・スピードライフ誌に紹介されたのは他メーカーのように新製品紹介ページや自社広告ではなく、いきなり1966年7月号NO.9内の製作記が最初であった。 また、クライマックスは他社のように自社広告はモデル・スピードライフ誌創刊以来一度もなく、この製作記が掲載されているNO.9にもないのである。 その辺のことがちょっと不思議な気がする。 そして、モデル・スピードライフ誌の通販部ページにクライマックスのクリヤーボディが載ったのが翌月の8月号NO.10が最初である。ただし、ポルシェ・カレラ6のみであった。 では、自社広告が掲載されたのはいつからだったのだろうか。 調べていくと、同年11月号NO.13に初掲載されていた。しかも 1/4 ページという小さな枠内での広告であった。(下記写真) クライマックスの新製品の発売に合わせたように初めて載せた広告ではあるが、今後のクライマックスの向かう方向が見えるような内容だったと思う。 クライマックスは過去に“1/24スケール アルファロメオ・カングーロ”キット(プラボディにアルミシャーシの本格的キット)を発売し、その後CLIMAX DYNAMIC SERIES なる簡易的キット(クリヤーボディ&アルミシャーシ)何種か発売した経歴があるのだが、広告には一切これらの商品の紹介はない。 すなわちクライマックスは、過去と決別し、この広告を契機に新たな方向へと向かって行ったのではないだろうか。 この広告の新製品を見るとその方向性がわかる。 内外どのメーカーも作っているような車種は選ばず、実車レースでもっとも最新な車種を選択し、商品化している。 その後もクライマックスのクリヤーボディは実車が登場してから半年以内の期間で商品化し発売していくことになる。 いつまでもロータス30/40、エルバ、ローラT70では時代遅れになってしまうし、モデルカー・レーシングの意味はコントローラーを握りレースそのものが好きな人もいれば、実車あってのスロットカーだと思う人もいるわけで、クライマックスはその両方のファンをつかもうとしていたのかもしれない。 |
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