(C)Photograph by Bontaro
 
 国産クリヤーボディを語るうえで忘れてはならないのは、やはりクリヤーボディのルーツではないだろうか。
クリヤーボディの誕生のルーツは、スロットレーシングを生んだ英国なのか、それとも爆発的なブームとなったアメリカなのか。
 そんな時、ヴィンテージスロットカーに精通している友人からある情報を聞くことが出来た。
それがこの「SLOT BLOG」という海外のスロットカー専門のブログだ。ここにはあらゆるカテゴリーのスロットカーアイテムについて詳しく研究している人たちが集まって情報を公開しているところだ。
さっそく、クリヤーボディの歴史などを探してみるとあるはあるは・・・。
 クリヤーボディはいつ登場したのだろうか?
探していくと、「ランサー」や「ディブロ」など沢山のメーカーの歴代クリヤーボディの発売年などが表になっているではないか! 
 紹介していただいた友人から当時発売されていた「MODEL CAR」誌の画像を送って頂いた。
それは、1963年当時アメリカで発売されていたモデルカーの専門誌であった。
そこには確かにクリヤープラスチックボディ・・・いや軽量なボディという言い方であるが、ただのプラスチックボディとは違う素材の軽量なボディの広告が書かれていた。これらがクリヤーボディである。
 1963年当時、アメリカで誕生し、そして、それが1965年頃に日本に入ってきたわけだ。
 
 
 




  
 
 確証はないが、少なくとも1963年にクリヤーボディは、アメリカですでに発売されていたことは間違いない。
さて、わが国ではどうだったのだろうか。
手持ち資料をめくってみると、一つの手がかりが出てきた。
 元祖モデル・スピードライフ誌1965年12月号No.2において、萩原勇一朗氏が解説されていた「軽く…美しい・・・ボディ クリヤーボディ 塗装と組立」のコメント内にヒントが書かれている。
 
 
  






 
 
 上の記述を読む限り、日本市場における国産クリヤーボディは、モデル・スピードライフ誌の発売日時から想像するに、1965年10月頃まではクリヤーボディは輸入品だけであったということになる。
 しかしながら、同誌「新製品紹介」ページには、“大阪コンパ”製クリヤーボディ「ロータス30」の発売、さらに緑商会よりダブルクリヤーボディスロットカーキット「フォード・コブラ&ロータス30」も発売されたと記載されている。
 萩原氏がコメントを書かれた時は発売月(12月号であれば11月発売なのでそれ以前に書かれていたと推測される)からすると、1965年10月頃。新製品紹介もたぶん同じ時期と思われるので、国産クリヤーボディ誕生は、1965年10月頃だったんではないだろうか。

 さらに最初の国産クリヤーボディということで言えば、秋田書店発行の土方健一著作「モデルカー・レーシング入門」(初版1965年12月25日付)には、国産クリヤーボディの紹介は、“大阪コンパ”と“タイメイ社”だけとなっており、ますますわからなくなってくる。(下記にページコピーを掲載)
ちなみに、タイメイ社は、モデルカー・レーシングキットとして、1/24スケール「アルファロメオ・カングーロ」を発売し、同時にクリヤーボディを4種発売している。お世辞にも良いとは言えないクリヤーボディ(ディテールが甘い、素材が塩ビ系で強度が弱い)であるが、現在までオークションなどで顔を見る長寿品である。タイメイ社のカタログのようなものがあったので記載し、タイメイ社クリヤーボディ写真も同時にのせているのでご覧頂きたい。
 
 
 
 
1965年12月号NO.2 モデル・スピードライフ誌新製品紹介ページより

秋田書店発行 土方健一著作「モデルカー・レーシング入門」より
 


タイメイ社公式カタログより
 
 さらに、1966年1月号No.3には、ゴーセンとサクラホビーより多数のクリヤーボディが新商品紹介ページに掲載されている。実際に発売された時期はいつだったのか?
ゴーセンのクリヤーボディについては、下記のゴーセン宣伝ページに「第1回発売 全国一斉11月15日」と書かれていることから、それ以前は、やはり国産クリヤーボディは大阪コンパのみだったんではないかと想像できる。 タイメイのクリヤーボディについては、発売日時などが正確にはわからないので今回は除外してあるが、ゴーセンよりも発売が早いかもしれない。なお、クリヤーボディ&シャーシキットとしては、ゴーセン広告に同年12月初頃に発売予定と記載があり、日本最初の発売であるとも書かれている。
 ヴィンテージ・モデルカー・レーシングに詳しい友人より、所有の大阪コンパのヒュッセンとフォードGT、ゴーセンのイソ・グリフォ
そして、緑商会のロータス30のクリヤーボディの写真を貸していただいたので掲載させていただきます。
 
 
 

 1966年1月号NO.3モデル・スピードライフ誌 新製品紹介ページより

  1965年12月号NO.2モデル・スピードライフ誌掲載のゴーセン公式広告
 
 OSAKA COMPA 大阪コンパ-----
 

 
TOP : OSAKA COMPA Clear Body.
This is HUSSEIN



TOP: COMPA's FORD GT.
 
 GOSEN ゴーセン------
 

 
TOP : GOSEN7s ISO GRIFO.
 
TAIMEI タイメイ-------




TOP : TAIMEI's Scarabe, CobraGT and FordGT.

 MIDORI SHOKAI 緑商会-------
 

 
TOP: LOTUS 30 by MIDORI SHOKAI.


TOP: MIDORI's FORD COBRA
Phogograph by Bontaro.



 
 さて、国産クリヤーボディと言えば、私は1つ返事で「クライマックスとライト工業」と答えるのだが、上記の段階では登場していない。 ライト工業がモデル・スピードライフ誌の広告欄に登場するのは、1966年3月号NO.5の新製品紹介ページに”1/32スケール プリンスR380GT”が紹介されており、ライト工業としては最初の登場だと思われる。(下の写真が1/32 プリンスR380である)
 また、同じ欄に青柳金属工業より“ジャガーEタイプ”が紹介されているのも注目である。 青柳は、このボディと自社のパイプシャーシを組み合わせたキットも発売している。 また、紹介欄に大阪コンパの新作がずらりと並ぶ、この時期、コンパの発売ペースが異常に早いように思う。
 ところで、広告としてのライト工業が登場するのは、1966年4月号No.6からである。
”ライト工業”のライトは“軽い”という意味だと言わんばかりの宣伝のやり方である。
そして、特徴と言って良いのだろうか、ライト工業の商品は下の商品写真を見てわかるとおり、クリヤーボディ表面に傷がつかないようにクリヤーケースで包装されている。これは現在のミニカーのケースに相当する非常に購入者側に立ったメーカーの良心的な姿勢をみることが出来る。

 ライト工業も大阪コンパ同様、大阪にあるメーカーであり、発売のペースが早いこの時期、関西のモデルカー・レーシングの熱気は凄まじいものがあったのだろうと想像できる。
 

 クリヤーボディの素材は、当初塩ビ系素材が主流であったが、ゴーセンは米国コダック社の“ブチレート”という素材を使用、軽量、強度とも塩ビ系素材より優れていることを打ち出し、ライト工業も広告に違う素材を使って自社商品の優位さを打ち出している。
 

TOP : RIGHT IND.LTD 's 1/32scale "PRINCE R380".
Photograph by Bontaro.

 
1966年4月号NO.6モデル・スピードライフ誌掲載広告
 
 
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