メジャーレースにおける"AYK"の活躍を検証する

 1965年、モデルカー・レーシング連盟主催の1965年8月14日開催「第1回オール関東サーキット対抗選手権」や同年11月28日開催「第1回オール関東モデルカー・レーシング選手権レース」により、大いに盛り上がりを見せて来た日本モデルカー・レーシング界であったが、実際にAYKのシャーシやパーツは活躍していたのだろうか?!その辺を検証してみたい。
 
 
 
 
 上の表は、モデル・スピードライフリターンズ第2号の企画ページ「国産クリヤーボディ探索」にも掲載したレース結果である。
見ていただくと分かるように、3大会共、上位入賞車のほとんどが国産・海外キットのシャーシを改造したものがほとんどである。 特に第2回大会と第2回全日本チーム対抗選手権においてのタミヤ製スプリングサスペンションA-B型シャーシの活躍は目を見張るものがある。
 実は、まだこのレースの時点ではタミヤはA-B型シャーシ単体の販売を開始しておらず、レース参加者は皆、キットを買って製作していたと考えられる。 
 余談だが、緑商会のシャーシが予想外の活躍をしている。 緑商会製のシャーシは、真鍮製で低重心、基本設計が非常に良かったので自作シャーシの元にするにはうってつけのモノだったからではないだろうか。
メーカーもそこのところは抜け目がない。元祖モデル・スピードライフ誌の緑商会の広告内に、レースでの活躍を盛んに宣伝していた。 当時、メジャーレースの活躍は販売にも影響していたことがわかる一例だ。 実車レース界でも日本グランプリに参加し、例えクラス優勝だろうが各自動車メーカーは一斉に「日本グランプリで○○〇優勝する!」などと宣伝合戦をしていたことを思いだしてしまう。
 
 さて、青柳金属工業だが第1回オール関東において1台その名前を見ることができるが、AYKの市販シャーシをそのまま使って活躍しているのはほとんどないと言っていい。
ただ、自作パイプシャーシというのは、すべて自作するモデラーはまずいない。 モーターマウントや軸受けなど色々なパーツを購入して半田で組み上げる訳である。AYKでは、それら自作シャーシを作るための真鍮素材、モーターマウント、そして、軸受けパーツなどを細かく販売している。よって同社完成シャーシが活躍しなくても実質はAYKシャーシと言っても良いものも多々あったと考えられる。
 それを裏付けることとして、私事ではあるが、1966〜67年当時、小学校6年から中学生だった私は、タミヤのサス付きインラインのA-B型シャーシとその後に発売されたダイキャストサス付きサイドワインダーD型シャーシはあらゆる面で最高のシャーシだと信じ、AYKのパイプシャーシのことはもちろん知ってはいたのだが、ある面で軽視していたところがあった。しかし、ある時知人たちとホームサーキットを延長したコースでレースをしていて、私と友人のタミヤD型シャーシ+クリヤーボディのコンビをAYK製R:512モーターマウント使用の自作パイプフレーム(サイドワインダー+FT26D)があっという間に抜き去り優勝してしまった現実を見てカルチャーショックを受け、それ以来、AYKのパイプシャーシを愛用、そして、その後AYKのパーツや真鍮パイプ等の素材を買い込んで自作シャーシ作りに専念したという記憶がある。
大人なら秋葉原などで素材などを探して作るのであろうが、当時はまだ行動範囲が地元の営業サーキットへ行くのが精一杯であったので巣鴨にあった“巣鴨サーキット”でそれらを買い込んでいたのが現状だった。
 ということで、私たちのようなモデルカー・レーシングを楽しむエンドユーザーは、まずAYKの既存のパイプシャーシを購入して楽しんでいたのではないかと想像する。そして、次のステップとして自作シャーシを作っていたと考えるがどうだろうか。
 
 
 
インラインかサイドワインダーか!?

 引き続き上のメジャーレースの上位入賞車両を見ていただきたい、全てがインライン方式のシャーシである。
これは1965〜66年半ばまでに販売されていたシャーシとモーターの影響が大きいと思う。 まず、サイドワインダーで市販されているシャーシを探してみると、海外品だとダイナミック、RusskitのBrassシャーシ類、モノグラム、COX製ダイキャストシャーシなど各メーカー共サイドワインダーシャーシを発売していたが、国産では当時はキットでは大滝、長谷川、ブラスシャーシのゴーセンぐらいであろうか、AYKでもサイドワインダーシャーシは作られていたが種類は限られている。なお、タミヤのD型シャーシの発売は66年後半であった。
さらに、サイドワインダーはモーターの縦横サイズによりギア比がほとんど固定化されてしまうため、サーキットの特徴によってギア比を変えることが難しい。 そんなことから、融通性があり、パーツも豊富なインライン方式が主流になっていたと考えられる。
さらに、タミヤ製A-B型シャーシの登場がインライン主流となった最大の原因ではないかと思う。

 では、1966年後半から1967年当時の状況も見てみたいと思う。
 

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