(C)Photograph by my friend.
 
 青柳金属工業有限会社は、かつて東京都江戸川区に存在した日本の模型メーカーである。
商標は「ayk」、「AYK RACING」創業は1953年。その数年前からOゲージやOナローゲージといった鉄道模型の真鍮製車体やパンタグラフなどの精密な金属加工品を鉄道模型メーカーに納入。1960年代の第1次スロットカーブーム以前から海外にスロットカーのシャーシを輸出していた。
また、プラモデルや玩具の駆動ギヤ部分の製造では、国内の需要の大半を賄っていた。

以上「ウィキペディア Wikipedia」より引用活用させていただいた。
 
 日本におけるモデルカー・レーシングの誕生に関しては当方ホーム・ページ開設時に書かせて頂いた「追憶のモデルカー・レーシング 日本モデルカー・レーシング史の夜明け」を見て頂くとして、
青柳金属工業(以下AYK)から発売されてきた“真鍮パイプシャーシ”“真鍮板使用のシャーシ”などの初期タイプから70年代中盤までの製品を当時の広告と写真などを織り交ぜながらその進歩を紹介していこうと思う。
 今回色々手持ちのAYK製品などの写真を提供していただいた私の友人の方々にこの場を借りてお礼を申し上げたい。
 
 
さて、1965年当時の日本のモデルカーレーシング事情といえば、各地に一斉に誕生しだした営業サーキットとプラモデルメーカーを中心としたスロットカーキットの発売ラッシュであろう。それに伴い模型雑誌もスロットカー特集を増刊号として発売したり、「モデル・スピードライフ誌」のように月刊誌形態で発行するなど模型界は「モデルカー・レーシング」一色に染まった感じであった。
 スロットカーを箱入りのキットとして発売するプラモデルメーカーは数十社におよび、今までの模型界にはなかった健全な室内スポーツとして今後世界選手権も視野に入れての室内スポーツとして大いに盛り上がっていた。 さらに、それらを統括する“モデルカー・レーシング連盟”も発足、続いてメーカーのための“モデルカー・レーシング協会”も誕生し、統一したルール内で全日本選手権もその年に開催されて前途洋々であった。

 プラモデルメーカー以外にもこの業界に当初から参戦していたのが、今回紹介する「青柳金属工業」である。
その他にそれまで製作販売していた鉄道模型のノウハウを使って作り出した金属製シャーシやパーツなどを発売した「宮沢模型」、「ゴーセン」、そして、クリヤーボディを発売していた「ライト工業」「クライマックス」「コンパ」そして、「ゴーセン」などもメーカー製キットにない独特のスタイルを打ち出していた。

 このAYK企画にあたり一つご理解いただきたいのは、メーカー資料や当時の関係者からの情報がほとんどなく、当時のモデル・スピードライフ誌の広告および掲載記事、そして当方の当時の記憶のみで書かせていただいているので多々間違いもあるかと思う。どうかその点をご理解の上読んでいただけたら幸いだ。先にこの場を借りてお詫びさせていただく。そして、正しい情報があればお手数ながらお知らせ頂ければ訂正させて頂きたいと思っている。
 
 
(1) インライン式パイプシャーシとサイドワインダー式パイプシャーシ

 
 
 
 上の広告は、モデルスピードライフ1965年No.2に掲載されていたものである。
一番上にある品番「R-51」のパイプシャーシはAYKの原点となるシャーシだと思う。 インライン方式で簡単な真鍮パイプを組み合わせたこのシャーシは、フォーミュラからGTまで幅広く活用されたシャーシの1つである。
下のモデル・スピードライフ誌の製作記事にもこのシャーシが利用されていることからも自作シャーシ以外では当時一番利用されることが多かったスタンダードシャーシであったのは間違いない。
 このシャーシの最大の特徴は、最低限の真鍮パイプで組みながら2本のサイズの違う真鍮パイプを利用してホイールベースを変更できるようにしていることである。さらにアイデアとして面白いのは、通常フロントシャフトはリアの構造と同じく、ベアリングやオイルレスメタル、ないしは穴のみなどを通して前輪を回転させる仕組みであるのに対して、AYKでは内径3mmの真鍮パイプを軸受けの代わりに使いその中にシャフトを通して回転させる方法を考えたことだろう。今考えるとガタが出て精度はかなり落ちると思われるが、当時はこの程度のガタが出ても影響はないと思っていたのでかえって簡素な構造が自作シャーシ製作には好都合であったと記憶している。下の写真は、R-51シャーシをGTクラスのクリヤーボディ用にボディマウントステー(ボディとビス止め用)を真鍮板をシャーシ本体左右に半田止めしたものである。もう1つはピットマンモーター用の
シャーシのフロント部分でこれにモーターを繋げて実車並みのストレスメンバーにしているところが面白い。

 同時にサイドワインダー専用のパイプシャーシも発売されていた。しかし、まだサイドワインダーの理論上の優越(スパーギヤとピニオンギヤの組み合わせはインライン方式のクラウンギヤとピニオンギヤとの組み合わせで理論上はサイドワインダー式の方がパワーロスと摩擦係数が少ない)を引き出すまでには至っておらず、インライン方式を採用するキットメーカーおよびカスタマーが多数であった。
また、1965年当時は、モーターもマブチモーターは、FT-16のみでその他ピットマンモーターや鉄道模型で使用されていたカツミモーターなども盛んに使われており、後に発売されていくマブチFT-36, 36D, 16D, 26Dなどの登場により、AYK製シャーシも進化していくことになる。
 
 

 
 
  
 
 下の広告は、モデルスピードライフ1966年No8に掲載されていたものである。
この頃になると、マブチモーターもFT-16D, 36Dも登場してバリエーションが増えたきたことがわかる。
ちなみにその当時に注目を浴びていたアメリカンストックカークラスの専用パイプシャーシとして"R-57"が紹介されているが、その頃は鉄道模型用のカツミモーターなどの回転数は少なく、しかも非常に重い個体てもパワーがあるためストックカー用として重宝されていた。しかし、のちにスポンジタイヤの進歩と共に重量が軽く高回転のマブチモーターにその座を奪られることになる。
 
 さて、先に述べた“サイドワインダー方式”のシャーシであるが、下の広告にも1種類(モーターマウントが2種)"R-55"が掲載されているが、種類が少ないことがわかる。 理論的にはサイドワインダーの方が効率が良いはずであるがなぜ種類が増えてこないのだろうか。
 1つ考えられるのが、インラインに比べてギヤ比が変えにくいことが言える。例えば、COX製の初期ダイキャストサイドワインダーシャーシやタミヤのロータス40のダイキャストサイドワインダーサスペンションシャーシなどを見ても、スパーギヤとピニオンギヤのギヤ比は限定されてしまっていて、インライン方式のようにあらゆるギヤ比を選ぶことが出来ない。
R-55の場合、モーターを縦向きに置き、モーター缶がリア軸に干渉しないようにしていると思われる。ギヤ比もある程度横のモーター移動により変更は可能である。
また、当時はスパーギヤとピニオンギヤはほとんどが真鍮製であり、同じギヤ比を組む場合、インラインより大きな歯車でギヤ比を選択せねばならずその弊害としてギヤ音が大きくなるのも問題であった。 ただ、メーカーキットではCOXやタミヤのようにナイロンスパーギヤ使用することによりその問題点を解決しているものもある。しかし、ギヤ比交換は出来ない。
 
 
 
 
TOP: This is an AYK ad.




 TOP : R-55 made by AYK.
 
 
 R-55シャーシは最初のサイドワインダーパイプシャーシとして上のクリヤーボディとのセットとして売られていた。
このクリヤーボディとセットしての販売はAYKだけでなく、クライマックス社、ゴーセン社などでも販売されていたやり方だ。
値段的にも安く、AYKの場合「ジャガーE」と「コブラGT」で400円(モーター別)であった。

 モデル・スピードライフ誌でもこのR-55を使用して、クリヤーボディとのセッティングの仕方を解説している。(下記写真参照)
 付属しているナイロンスパーギヤとFT-16Dに取り付けられているピニオンギヤを使って組み立てられている。なお、使用されているクリヤーボディはゴーセン製のチャパラルであった。
 

 
 

 
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