またひとつ歳が増えた。 体脂肪計なるものが我が家にもあって、体重、BMI、体脂肪率、内蔵脂肪レベル、骨格筋率が表示されるのだが、最後に体年齢というのが出て、ここ三年は実年齢マイナス12を行き来している。正月におせち+酒+運動なし、が何日も続いてマイナス11になったりすると、あわてて家の中でできる運動=ストレッチやらなにやらで修復につとめれば数日のうちにもとに戻るからまだ許せる。 中学時代の恩師やご高齢の先輩への年賀状には自分でも当然のようによく書いていた文言だが、いざそれを受け取る立場になるとかなりコタエるものだということがわかった。先生ゴメンナサイ、先輩ゴメンナサイ。 「お迎え」「まだ?」「そろそろ」、あ、来ました来ました…… |
2009年10月7日 |
一日目、神は犬をお創りになった。 二日目、神は猿をお創りになった。 三日目、神は牛をお創りになった。 四日目、神は人間をお創りになった。 そして人間は、はじめの20年は気ままに暮らし、次の40年は太陽の下で牛のように働き、子を作り、後の10年は猿のように芸をして孫の機嫌をとり、最後の10年は街角のベンチに日がな一日座って誰にでも吠えつくようになりましたとさ。 LA在住のT氏から送られてきた話である。 |
2009年11月18日 |
あれから三年経った。 ◎前々日用《クリアスルーJB》
◎前日用《エニマクリン》
おいおい、5食中3食粥だ? 間食にエネルギー補給飲料だ? [検査前々日] しばらく通常食とお別れにつき朝食重めに食べたため、昼に空腹を覚えず食事パス。午後から打合せなどいろいろ仕事あって帰宅23:30。
“食べて痩せるダイエット食品”だったらこんな風になるか? 飲み下したあとに妙な甘さが残るのは添加物のせいだろう。 [検査前日] 朝:飯1/3椀を粥にし、梅干し一個 帰宅22:00過ぎのため夕食は抜き。昨日今日の食料事情は体年齢にどう影響したか。計量。驚くべし、このところ実年齢マイナス11〜12歳だったのがマイナス13と出る。このまま粥生活にして目指せマイナス15歳、まさかね。 [検査当日] 4:15起床。ヨーピスが効いて4:23早速(1)。4:30よりマグコロール飲み始め。5:30(2)。6:00(3)。6:25(4)水状、薄茶。このあたりで睡魔。ソファでうとうとする。8:05(5)、8:50(6)多少白濁だがほとんど無色。9:10(7)無色、小量。
おやおや、ポリープの頭を引っ掻いてちょっと血が出たために、粥生活が一日半延びてしまった。 [検査結果] 二週間後、判決である。まあ大丈夫とは思うがダメという可能性も充分あるだろう。多少は心配。しかし有罪と言われても取り乱さないように下腹に気を集中して、と……
──で、あなたの場合、と4に丸がついている。最上ランクかい。嬉しくないねぇ。
──で、あなたの場合、これも最高ランク。ただしシャワーはOKですと。え〜、ライブでピアノを弾くのはどうなんでしょうね。局面によってはかなり腹圧がかかる奏法もいたしますが、なんてお伺いを立ててもわからんだろう。道場はやはり自主規制かいな。つまるところ約一ヶ月は寝たきりに近い生活となるのだろうか。 で、やっと見つけたのが2月25日である。
ハイハイ、もうなんでもいたしますよ(4月ニナッタラソノブントリカエシテヤルゾ〜。ミテロヨ〜ッ!!! ヽ(#`Д´)ノ )。 | ||||
2009年12月22日 |
■2/25(木) 昨日夕食は粥、梅干し、南瓜煮、味噌汁。
傷口か塞がるのに四週間かかる。無理をすると穿孔性腹膜炎になることも、と恐いことを言われる。 受付で紹介状を見せたら中のベンチで待てという。しばらくして会計カウンターの奥にある部屋に入れられ、事務の人たちが座っている脇で書類を書く。
Uさんという(マスクで顔の下半分はわからないが)眉と目の感じが若い頃の(きれいだった)カーメン・マクレェに似た看護師さんが検温をしてから点滴の針を左前膊に刺す。針は2cmほどのプラスチック製でこれを血管に入れる。針の後端には緑色の漏斗状のものがつき、それから20cmほどのチューブが出ている。チューブの先は二本に枝別れしてそれぞれの先端が点滴薬からのチューブに接続できるようになっている。つまり二種同時に点滴可能というわけだ。漏斗状部分を腕に透明テープで固定し、そこにマジックで2/25と日付を書く。こうしておけば点滴のたびに針を刺す手間が省ける。しかしずっとプラスチック針を血管に刺しっぱなしにしておかれるのは実にうっとうしい。 ■2/26(金)曇、昼過ぎより小雨、夜大雨 5:00廊下を遠慮がちに歩くスリッパの音というのはかえって耳につく。なんとなく目覚めてしまう。血圧計で測る。156/93、ずいぶん高い。傷あとが炎症? 少々心配になる。便意あり水様褐色。水を飲むとほどなくして直通の感。とりあえず出血なし。 ■2/27(土)雨 4:00洗面所の水が止まらないような音で目が覚める。窓に当る雨音だった。かなり激しい。風も強いようだ。カーテンを開ける。遊歩道の街灯や九段下あたりのビルの屋上赤色灯も煙っている。 たった二泊にしては長く感じたのはなぜだろう。点滴の間動かずにいたからかな。立ち上がっても、スタンドを持って歩いても良いとはいえ、身体に何ものかがつながっている感覚は相当不自然なものだ。それから、いつ医師や看護師が入ってくるかもわからないことで潜在的に緊張感が続いていたための疲れの影響。消灯後も宿直看護師がそっとドアを開ける。これも気配を感じてふっと目が覚めるのだ(武道の達人でなくてもこうなれる、と確認できたのは収穫だ。掛け布団の下で脇差しの鯉口を切る、とまではいたさぬが……むっふっふ)。 |
2010年3月8日 |
ソプラノ・サキソフォンで独自の境地を切り拓いたSteve LacyはThelonious
Monkを深く尊敬することで知られていた。 さて、一週間ほど前、LAのT氏から一枚の画像が送られて来た。
……う〜ん、最初の3項は初級ジャズ講座のようだが、なかなか鋭い言葉もあるなぁ。吹かなかったことのほうが重要などというのは武満徹(沈黙と量り合える音)、谷崎潤一郎(陰影礼賛)の世界に通じるし、もっと聴きたいと思わせ続けよ、なんてのはどうしても音数が多くなりがちな我が身には痛い。 (※註)例外はある。レイシーは富樫雅彦を高く評価しており、日本に来る楽しみのひとつに富樫との共演があった。その時には富樫作品も取り上げていた。 |
2010年6月30日 |
パクさんとの会話は、片言日本語+片言韓国語+変な英語で成り立っている。 「センセイ、what トリンク want?」(せんせい、何飲む?) 不思議とこの調子でもかなり細かい所まで通じるし、これまで行き違いが生じたことはない。ただしパクさんと会ったあとしばらくは英語の混乱が尾を引くことになるので困るけれど。 メールではこんな具合の英語が来る。 “i hope to small tour in japan somewhere.”(ちょっと日本のどこかを旅行したい) さて、11月29日の朝、コンピューターを立ち上げたらパクさんから【Emergency please】 というメールが来ていた。
こりゃぁ今流行りのオレオレ詐欺じゃないか? パクさんだからパクパク詐欺かい。 そしてパクさん本人登場。 後刻、パクさんからワールド・フレンドへの一斉メール。
|
2011年12月1日 |
苦難の2011年も残りわずか。 結婚して良い妻だったら男は幸せになり、悪い妻だったら男は……哲学者になる。 私が妻に単語をいくつか言う。妻は私に数段の文章を言う。 私たちが長く結婚していられる秘訣:週二回レストランへ行くのだ。キャンドルの光、ディナー、静かな音楽、ダンス。妻は火曜日に、私は金曜日に。 良い妻とは、いつも夫を許すものだ。彼女が悪い場合に。 結婚とは男と女が一枚のコインの表と裏になることだ。 テロ? 全然怖くないね。私は二年間結婚していたから。 ある男が求人広告を出した。“妻求む” 私が答えられない一番困難な質問:彼女は今何を欲しているのか。 妻と私は20年間幸せだった。そして私たちは出会った。 妻を盗んだ男への最高の復讐:そいつに妻をずっと預けておくこと。 女とは男にすばらしい希望を与えてくれるものだ。そしていざそれを実現しようとすると徹底的に妨害するものだ。 オンライン銀行よりはるかに速い資産の移動法:結婚。 安泰な結婚を続ける二つの秘策: 妻の誕生日を覚える一番効果的な方法:一度忘れること。 結婚とは:敵と一緒に眠るベッドにおける唯一の戦争。 私は結婚運が悪くてね、最初の妻は去って行った。二番目の妻は去ろうともしなかった。三番目の妻は何人も子供を産んでくれた。 妻「あなた、レディーファーストをお忘れ?」 一番目の男(誇らしげに)「ぼくの妻は天使だ!」 まず婚約指輪、そして結婚指輪、すぐに鉄球つきの忍耐足輪。 |
2011年12月26日 |
「○○本」と呼ばれるジャズ曲集がいろいろ出版されているが、時々とんでもない記載があったりする。二冊の本を持って来てどちらが正しいか判定してくれ、などと言われたり、なんでこんなことが起きるのだと訊かれる。同じことを何度も話すのは面倒なのである曲の場合を例にとって解説してみた。
スタンダード・チューンを演奏したり歌ったりするときに、原曲はどうであったか、を知ることは大切である。なぜならば、「曲」は作曲者/作詞者の作品(創作物)であり、本来ならそれを再現することが演奏者(歌唱者)の使命だからだ。クラシックにおいては作品が楽譜という形で遺されており、まずそれを入手することが演奏(再現)の第一歩になっている。 ジャズの場合は状況が異なる。ジャズがNew OrleansからNew Yorkに広がった19世紀末、曲を印刷して〈sheet music〉を売る出版業が出現する。出版社が多く店を出し、宣伝のためにショウルームでピアニストが競って新曲を弾いて賑やかだったことから“Tin Pan Alley”と呼ばれた28丁目(Broadwayと6番街の間)の最盛期が1885年から1930年あたり。そして著作権法の成立は1886年のベルヌ条約。つまり、それ以前の初期のジャズに関しては楽譜の扱いはかなりルーズであったと言えるだろう。また、ジャズはimprovisation(即興演奏)に比重を置く形式であるため、原メロディー、原ハーモニーを変形することを当然視する傾向にある。したがって、誰かの演奏や歌唱がヒットしたというような場合、追随者はそれを原典と心得て真似ることとなる。 スタンダード・チューンの多くを占めるブロードウエイ・ショウあるいは映画由来の曲は、作曲者/作詞者の全集『誰々のソングブック』でかなり正確な姿を知ることができる。「かなり正確」とは、ほとんどが旋律(+歌詞)とピアノ伴奏譜(+コード)の形に書き直されているからで、完璧を求めるならば録音時のオーケストラ・スコアを参照しなくてはならないだろう。書き直しを作曲者本人が行うことはあまりなく、出版の段階で他人の手が入る。したがってその人物の主観が反映されるのは避けられない。 では、一曲ずつ独立したポピュラー・ソングはどうか。楽譜は二つ折りのsong folio(表紙と裏表紙が色刷りの絵で内側2ページに歌とピアノ譜)で売られる。戦後の日本では駐留米軍キャンプのPX(post exchange=酒保、売店)で入手した米兵が基地の日本人バンドに渡して演奏させ、それが国内に広まる、という経路もあった。ソングフォリオはレコード会社から音盤発売と同時に出版されるもので、旋律(+歌詞)についてはほぼ信用できるが、伴奏譜部分はソングブックと同じ状態であるといえよう。
ソングブックやソングフォリオを無許可で集めたものがフェイクブックである。フェイクブックは一冊に多くの曲を収容するために伴奏譜を省き、コードネームを付けてある。実はこのコードネームが曲者で、ピアノ譜の経過的な音運び、装飾楽句などに惑わされた解釈不能なものが混入していたりするのだ。 日本では1950年代には『1001 Songs』(俗に「千一」)が出回っていた。アメリカ発でもっとも知られているのは『Real Book』だろうか。その他に『Jazz LTD』、『Swingin' Songs』、『Colorado Book』、等々。初期のフェイクブックは手書きで、そこには当然写し間違いの危険が潜んでいる。また、後にそれらが印刷譜の体裁になったとしても、危険度に変わりはない。
ジャズメンのインストゥルメンタル、器楽曲は成立過程を考えてみても最初に作曲者の楽譜が存在したであろうと思われる場合はむしろ少数派ではあるまいか。ほとんどはモティーフのみがあり、それを演奏しつつ手を加えて(あるいは演奏=レコーディングの現場で瞬時にして)完成形に仕上げる、というのが常道であった。 これはsong(歌もの)を演奏するときでも同様で、メロディーは大体こんなものだったかな、そうそう、コードは? リズムは? とメンバーのディスカッションを経て、じゃ本番行ってみるか、になるのがBebop時代のジャズ・レコーディングの姿だ。従って、ジャズメンの器楽曲(および器楽演奏された歌曲)に関しては、楽譜ではなく初出の録音物を「原曲」と考えるべきであろう。
二枚の楽譜がある。両方ともCandyの中間部(サビ)である。つまり「飴の錆」。 Jazz Fake版をJ、スタンダードジャズ版をS、としよう。音のタイミングを無視してメロディーの輪郭(melodic shape)を比べてみると、三音連続の下降→狭い跳躍、オクターブ・リープダウン、三音の連続上行、とほぼ同形である。 このように、同形の旋律を異なる度(高さ)で繰り返すことを旋律的反復進行(melodic sequence)と云い、クラシック、ポップスを問わずしばしば用いられる作曲手法である。 さて、両者の違いはJの歌詞“I”と“so”にあたる音がSには存在しないのと、最後の小節の音がJはD−E−F、SはD−Eb−Eである点だ。この違いを軽く見てはいけない。次の場合どんな問題が生じるか。
1. は歌詞が余ってしまう。 この4小節目の違いについてはさらに厄介な問題がある。それは、ほとんどのミュージシャンがここを「厳密な」メロディック・シークエンス、つまり2小節目と同形の半音三つの上昇、と思っていることだ。
ジャズの二大定型はbluesとrhythm changesである。hythm changesは日本語で「循環」と呼ばれているが、rhythmはGeorge
Gershwinのヒット曲I Got Rhythm、changesはコード進行を意味する。 Jは1小節目と3小節目に一拍ずつm7コードを3個つけている。これは半音下降するメロディーに合わせて平行ハーモニーを置いた、いわば装飾であり、もし歌手がメロディーを少しタイミングをずらして歌ったりすれば(よくあることだ)、たちまちバックと合わなくなるたぐいのもの、つまり構造的なコード進行を考える場合には無視して構わない。考慮の対象となるのは平行ハーモニーの三つ目、すなわち1小節目のAm7、3小節目のDm7である。 Jを整理した形は: 少し専門的な話。 話を戻そう。 Am7とD7、Dm7とG7は俗にtwo-fiveと呼ばれる関係にある。Dm7とG7について見てみると、長音階ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音を使って和音を作ったとき、Dm7は二番目のレから作る和音レ・ファ・ラ・ドである(これをIIの和音という)。G7は五番目のソから作る和音ソ・シ・レ・ファである(これをVの和音という)。これを続けて鳴らし、次に一番目のドからできる和音ド・ミ・ソ・(シ)(これをIの和音という)が聞こえると、いかにも「行き着いた」感じがするはずだ。音楽用語ではこれを終止(cadence)という。 さて、譜例でCandyのキーはB♭で表示されている。B♭のキーでできているということは、BとEは常にフラットがつく。だからいちいち臨時記号をつける手間を省くために段のはじめにフラットをふたつ表示するのがしきたりだ。 ところでAm7−D7ならGがあって終止が完成するのに、なぜ途中で放り出すのか。実はそれこそが狙い目なのである。B♭からGに転調して「あ、雰囲気が変わった」と感じた瞬間に次のキーに移る、「また変わった」と感じた瞬間にさらに転調。このようにして停滞せず、次々に聴く者を引きつけてゆき、ふたたび元のキーに戻る。 次にSのコードを見てみよう。
としたほうが洒落たサウンドになるだろう。
さてSはLee Morganの演奏を採譜したフェイクブックだが、Lee Morganは果たして原曲を知っていて、敢えて厳格なシークエンスにしたのだろうか。あるいは演奏者としての本能的な選択だったか。 それはともかく、Sがもう少し良心的なフェイクブックであるためには、次のように書かれていなくてはなるまい。
フェイクブックを妄信してはいけない。疑ってかかるべし。 |
2014年1月7日 |
知り合いからメールが来た。 さて、一体1988年3月23日という命日はどこから出たものか。 オレシンデルヨ、とあちこちに知らせたら、「富樫雅彦と混同したのかな」という返信があった。 という次第で、問題のページは「何かの間違い」にも相当せず、となると誰かが意図的に投稿した、くらいしか考えられない。 ご安心下さい。アタクシは元気にイキテおりますよ〜。 |
2016年2月15日 |