キャノピーピラーをボディと一体化!!
大変身!!タミヤ製ポルシェカレラ6
1/24scale Tamiya's Porsche 906.
Built by H.K.

 
 
 日本に上陸したレーシング・ポルシェについては、モデル・スピードライフ・リターンズ第1号に説明させて頂いたが、ワークス・ポルシェにおける新車としての登場と日本上陸がほほ同じだったのは、滝進太郎のポルシェ・カレラ6だけだ。
 式場壮吉のポルシェ904もシファートの917もタイミングとしては世界で活躍中ということではリアルタイムなマシンであったが、滝のカレラ6は、その年ののデイトナ24時間レースでデビューしたばかりのワークスマシンより、遅れること2〜3か月後にはテスト走行で名神高速自動車道を走っていたのだ。
何故一般道を走れるのかだが、カレラ6は、年間50台生産義務のあるFIA公認の公道を走ることが出来るFIAグループ4(当時)クラスのスポーツカーなのである。

 滝進太郎が購入したカレラ6は、自らのチーム「タキ・レーシングチーム」で1968年まで使用した後に売却、「チュードル・カレラ6」で活躍する。その後も1970年代中盤ぐらいまでは一線級マシンとして活躍し続け、日本で一番有名なレーシング・ポルシェ、いや外国製レーシングカーと言っても過言ではない。
 また、モデルカーとしても、タミヤやRusskitのスロットカーキットやプラモデルなど数社から発売されていたので、先にこれらから知った方々も多いのではないかと思う。
日本では、モデルカーレーシングブームの最中にテレビ放送された「1966年第3回日本グランプリ」でのプリンスR380と滝進太郎のポルシェカレラ6との死闘がやはりカレラ6を印象づけた要因だったと思う。さらに、翌年、生沢 徹、酒井 正、そして、滝の3台のカレラ6とニッサン・チームとの戦いがあり、カレラ6の人気を決定づけることになる。

 さて、今回もH.K氏の手でタミヤのポルシェカレラ6が大変身している。このボディの欠点?!(ある面からは利点か?!)というべきボディラインの修正やクリヤープラスチックで一体として作られていたキャノピー部を、ピラー部分と分離し、ボディとを一体化するという驚きの改造も行われている。
 
 
 
 
 This is a major remodeling of the Tamiya model 1/24 scale Porsche 906 body.
Separate the window frame and window, and integrate the body and window frame.

 
 
 60年代からのポルシェ日本総代理店であった“三和自動車”の広告(カーグラフィック誌やオートスポーツ誌など)を今見ると実に面白い。 キャッチフレーズも粋な言葉が記されている。
 滝進太郎にカレラ6を紹介したのは紛れもなく三和自動車であり、JALの空輸による日本上陸はどちらが費用を払ったのであるかはわからないが、当時なのでかなりの金額になったと想像する。また、翌年、Tetsuおよび酒井正に渡った2台のカレラ6も同様でる。
 三和自動車は、隠れチームとしてその3台を支えたのである。
 

 それでは、H.K氏のアトリエを覗いてみよう!
 
 
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(C) Photographs and built by H.K.