2) 元祖モデル・スピードライフ誌上広告の移り変わりを紹介
History of Climax Magazine Advertising in Model Speed Life Magazine

新生“潟Nライマックスがスタートしたのは、1966年11月号の
モデル・スピードライフ誌に初めて掲載した広告をその時期と
考えるのが良いのではないだろうか。
さらに、過去を引きずるアイテムである”ポルシェ・カレラ6,
チャパラル2C、1/32のメルセデス・ベンツF1”ではなく、実車も新鮮な
“フェラーリ330P3”や“ホンダ3リッターF1”
を新たに製作しての旅立ちであり、販売意欲を感じることが出来る。
 
 
 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the November 1966.


 
   TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Jan 1967.

フェラーリ330P3を発売してから、わずか2か月後に早くも
新作2作の発売は、他のメーカーではありえない開発スピードだ。

 
 
 
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Published in the Mar 1967.


 モケイのデパート”泣Nライマックス”が誕生。
通販業に参入するが。

 
 
 
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Published in the May 1967.


 ライト工業“スーパークリヤーボディ”に対抗して、
超軽量で超強度のP.Cボディを“マイティーシリーズ”
として発売する。しかも、値段をライト工業製スーパー
クリヤーボディ900円の約半分ほどに設定したところに意味がある。

 
 
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Published in the June 1967.

 
 
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Published in the Aug 1967.
 
 

   TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Sep 1967.


 スタートから半年余りで、モケイのデパートの宣伝が突然消える。
この時期に何かあったのではと想像するが。
 

 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Oct 1967.


F1&Indyクラスに革命的ボディ登場!!
フォーミュラクラスにサイドワインダーシャーシ
が搭載出来るSTPスペシャルが発売される。
 


 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Nov 1967.
 

 ラインナップすべてマイティーボディとなり、価格も400円に統一改定される。
 
 
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Published in the Feb & Apr1968.
 

 1年3か月ほどの間に、9台の新作を発売。
そして、何故か“ギヤ抜き”が発売される。
 
 
 
 
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Published in the Jun & Jul 1968.
 
 国内レースが注目され始めたのを契機に、日本GPシリーズなるアイテムを発売する。
他のメーカーにはない、日本モータースポーツを視野に入れた新しい販売戦略を開始する。

 
 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Aug 1968.

 
 実戦投入はなかったグループ6仕様のニッサンR381を勇み足?!で製作発売してしまった
クライマックスだったが、現在もしこのボディが手に入れば貴重なものとなるだろう。
 

 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Sep 1968.

 
 この時期の、クライマックスの原型はとても素晴らしい出来では
ないかと個人的には思っている。タイヤ径も小径タイヤになる直前の
サイズで、まだ実車的な雰囲気を保った商品であったと思う。

 

 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Oct 1968.

 
 日本GPシリーズと共に、FIAマニファクチャラーズ選手権、CAN-AM、そして、インディ
と、世界のビッグ・イベントの有力マシンを発売するところもマニア心を掴むものだった。
今回、新発売された“ポルシェ908ショートテール・クーペ”と“マクラーレンM6A”、そして、
”ロータス56タービン”は、数多くのクライマックスクリヤーボディの中でもベスト5に入る
素晴らしい出来で、実車をよく考察し再現されたボディではないかと思っている。
 

 
 
   TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Nov 1968.

 
 細かいことだが、11月の広告から枠取りの四隅が丸くなっていることが分かる。
そして、“クライマックスのカラータイヤ \140”が発売されたのも特筆すべきことだ。
1966年11月より再スタートして2年。その間発売したクリヤーボディは、すでに16種ほど
になっている。驚くべき発売ペースだ。それから、上のクリヤーボディの種類を見ていると
初期のチャパラル2Cは、書ききれなかったのか分からないがカタログ落ちしていることが分かる。


 
 
   TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Jan 1969.

 
 新しいカテゴリー“GT-I-II”用に急遽?!発売した“マクランサ”が目を引く。
 
 
 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Feb 1969.

 
 日本GPシリーズ(勝手にそう呼んでいるのでご容赦願いたい)と共に、クライマックスが力を
いれているアイテムが“CAN-AMシリーズ”である。チャパラル2Eを発売した後、後続が
現れないので心配したのだが、マクラーレンM6Aの次に登場したのが、1968年シーズン
の総合優勝車“マクラーレンM8A”の登場である。そして、同時に、実車はマニファクチャラーズ
世界選手権での活躍ほど輝くことは出来なかったが、CAN-AM初登場の“フェラーリ350P4”
が同時に発売された。
 

 
 
 TOP : ModelSpeedLifeMagagine.
Published in the Mar 1969.

 
 かつてこんなに話題性のある実車を短期間の間にクリヤーボディ化したメーカーは、世界を
見回してもあっただろうか。 それほど、この時期のクライマックスは乗りに乗っていたと
言っても過言ではない。 日本GP、CAN-AM、の次は、インディシリーズである。
しかも、それまでのサイドワインダー搭載が容易なボディ選定ではなく、インライン用に
開発しているのだ。 AYKのフォーミュラ用シャーシとの組み合わせを念頭に作られて
いるのは明白だが、タービンカーばかりでは面白くないので、この選定は面白いと思う。
さらに、AYKとの共同企画?!で誕生した1/32スケールのクリヤーボディも発売されて
これからも何種類か発売されると思われる。(もちろん当時のことであるが・・・)
 

 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Apr1969.


 この号から模型とラジオの綴じ込み記事だった“モデル・スピードライフ”が遂に終了。
変わって“モデルカーレーシング教室”に変更となった。単独雑誌時代を含めて
約4年ほどの期間だったがモデル・スピードライフの名が消えた。1つの歴史が終わった。
 
クライマックスの発売ペースは、現在月に2台のペースで新クリヤーボディを発売し続けている。
今回は、CAN-AMの“マッキー・スペシャル”と1/32の“フォードMKIV”だ。
“ザ・ウェッジ”と呼ばれるこのマッキー・スペシャルは、ポール・ニューマン監督・主演の映画
「レーサー(ウイニング)」の冒頭にニューマンのドライブで登場するマシンとしても有名だ。
 

 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the May 1969.
 
 
クライマックス再スタート時に“ホンダF1(RA273)”を発売以来、F1ボディの発売がなかった
が、1968年F1選手権優勝マシンの“ロータス49B”が発売された。
遂にF1シリーズ開幕のようだ。
さらに、1/32スケールのロータス56タービンも発売された。
古いベンツF1以来のフォーミュラタイプだ。
 

 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Jun 1969.
 
 
必ずペアで発売するクライマックスの商法。 
ロータス49Bと共に発売された“マトラF1(MS11)”。
当時、両方とも購入して、元祖MSL誌に数多く掲載されていたサスペンション付き自作シャーシ
を缶詰の缶を切り抜いてアームを作ったり、ギターの6弦を使ってサスのスプリングを作ったり
して作り上げて、この2台のボディに取り付けたことを思い出す。
思い出のクリヤーボディの2台である。余談だが、F1シリーズにぜひホンダRA300,301,302を
発売してほしかったというのが当時の強い思いであった。しかし、何故出さなかったのか…
 

 

 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Jul 1969.

 
 1969年日本モデルカーレーシング連盟規約改正により、クリヤーボディの使用が可能
となったストックカークラス用に、早くもクライマックスより“マーキュリーサイクロン”
と“フォード・トリノ”の2台が発売された。個人的には、リアルなプラボディを続けて
ほしい気持ちが強かったが、プラの新作が出ないことには話にならない。 
そして、久々のCAN-AMマシンの“ローラT160”が発売。実質的にこのボディより、
小径タイヤ専用ボディになったのではと思われる。
 
 
 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Jan 1970.


 月が飛んでいるのは、その間の「模型とラジオ」誌の持ち合わせがないということですので、
どうかお許しを!
さて、前年の10月と11月には、日本GPと日本カンナムが開催されたため、その関係
のマシンたちが発売されることが予想されたが、やはり予想通りT.N.T(トヨタ、ニッサン、
タキ・レーシングの略称)のマシンたちが発売された。ポルシェ917は先にロング・テール
が発売されていたのだが、日本GP人気を見て、急遽ショート・テールモデルを発売か?!
 また、リストでわかる通り、1969年後半にポルシェ917ロングテール、
そして、フェラーリ612CAN-AMが発売されていたことがわかる。
 
 
 
TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Mar1970.
 
 
いまだに実車を確認できないでいる“エルフィン・ローラ”が
“マトラ630"と共に発売された。
さらに、日本GPで話題となり、69年日本カンナムで第3位となった
L.モッチェンバッに代表される"マクラーレンM12"が発売された。

 
 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Apr 1970.
 
 潟Nライマックスとして再スタートする以前に、ゴーセンなどと共同開発したボディ+シャーシ
セットを発売したことがあったが、それ以来となるキットを今度はAYKのシャーシと共に発売された。
しかも、AYKシャーシは、このキット専用で単独の販売はない。価格も1000円というから、タミヤ
のキットを買うつもりで買うことが出来るのもリーズナブルに感じるが。
ただし、モーターなし、ボックスなしの台紙貼り付け仕様がちょっと残念だ。

 
追加事項:リストに“ポルシェ908スパイダー”と”フェラーリF1”がアップされている。
 
 
 
 TOP : Mokei_RadioMagagine.
Published in the Jun-Aug 1970.
 
 
一気に最新のカンナムマシン2台の登場である。“チャパラル2H”と
無敗のチャンピオンマシン“マクラーレンM8B”である。
チャパラルは、ボディ自体がウイングというマシンであったが、最後は
超巨大なウイングを付けて登場したのには驚いた。しかし、クリヤーボディには
付属ウイングは付属していないので自作するしかないだろう。 
M8Bの方も、常時ウイング付きであったので自作して付けるしかないだろう。
しかし、クリヤーボディ形状を見ると付けないでも違和感がない
ようにアレンジがされているように見える。そして、F1のフェラーリ312が発売された。
形状からして1969年後半に登場したスタイルではないかと思われる。

 
 
 
 
 TOP : Modelcar Racing News Magagine.Published in 1970.
 
 ここからは、「模型とラジオ」誌を離れて(モデルカーレーシング教室も終了していた)、
営業サーキットで販売されていたモデルカー・レーシング連盟が発行していたと
思われる小冊子を当時、巣鴨サーキットにて購入していたもののクライマックス
の広告を紹介したい。 ほとんど形式は変わっていないようだ。
内容も、ほぼ変わっておらず、少し新作販売ペースが落ちたような気もする。

 

 
 
 TOP : Mokei_Radio Special Magagine.Published in 1970.
 
 クライマックスの探求ページでも取り上げているが、5リッタートヨタ7の前期型モデルを
発売したと示されているが、現実は、日本GP出場の最終型のみ発売されていたと
思われる。この広告のモデルは、実際には存在するのかどうか。気になるところだ。

 

 
 
 TOP : Model Racing Life Magagine.Published in 1971.

 こちらもモデルカー・レーシング連盟監修の小冊子「モデル・レーシング・ライフ
(どこかで聞いたような名前だ?!)」の広告である。この時期は、模型雑誌に
スロット・レーシング(モデルカーレーシング)を特集することはほぼなくなった。
動く車のホビーはRCカーに移り、スロットカーはすでに過去の遺産のようになっていたと思う。
クライマックスも富士グランチャン関係の車種も発売したりしていたようだが、
新興勢力のミニオートの勢いに次第に押されていったようだ。
そして、1970年代後半のAYK公式カタログには、ミニオートのクリヤーボディ
が数ページに渡り紹介されていた。クライマックスの終焉であった。

 以上で、「クライマックスの探求 後編その1」として終わりたいと思う。
次回は、後編その2としてもう1つの国産クリヤーボディメーカーの「ライト工業」
とクライマックスの比較なども含め、まとめてみたいと思っている。


 後編その1
END


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