◇原動力は建設省から出向の若手課長


 以上のような「情報ハイウエイ」の建設に、どうして岡山県が取り組んだか、地域情報化の進め方を考える上で、いきさつが参考になる。

 阪神大震災でインターネットが役立ったことが注目された1995年初め、建設省から出向して岡山県企画課長を務めていた藤井健氏(現・建設省都市局都市総務課企画官)は「インターネットは世界を変えるものだ」と興奮したという。そこでまず考えたのが知事をその気にさせること。当時、岡山の「F1サーキッツト英田」では94、95年と2年連続で「F1パシフィックグランプリ」が開催され、長野士郎知事も自動車レースのF1に興味を持っていた。そこで藤井さんはパソコンを知事室に持ち込み、南オーストラリア州アデレードの市街地のレース場の模様や、州政府のホームページにF1コーナーが設けられていることなどを見てもらった。州のホームページから民間の行事であるF1のチケットまで取れることが分かって、知事もすっかり感心したという。どうやらこれが、岡山情報ハイウエイの性格を決めることにつながったようである。

 藤井さんによると、行政の仕事の大部分は、時間、距離を無くすために費やしている。ところがインターネットが、地球規模で時間、距離を無くしていることを実感した知事は「全県民が自由に使えるように出来んか」と命じたという。そこで月尾嘉男・東大教授らに相談した藤井さんは、当時、県内で14%ぐらいまで普及していたCATVを使ってインターネットを家庭に直結させることを計画、そのCATVをインターネットと接続するために県が光ファイバー網を引いてしまい、それを民間開放して使わせることを考えた。最初は通信事業者の回線を借りたり、建設省の道路管理用の光ファイバーを借りて両端を県の回線で結ぶ方式。後には借り上げ回線を自前の回線敷設に切り替えることにした。「県は情報のコンセントを用意するから、CATV会社はそれに差しに来てください」というわけだ。県は幹線を引くだけなので総延長430キロ。20億円までかからない額で、道路を数キロ作るよりもはるかに安い。

 98年度までは実験期間という位置づけだったが、99年4月から正式運用することになると、電気通信事業法の第1種通信事業者としての許可を受けなければならない可能性があった。しかし通信事業者になると、接続の義務が生じたり、料金を取ったりする必要が出てくる。電気通信事業法は、県がネットワークを開放する、といったことは想定してないためだ。そこで藤井さんは、この事業を「第0種電気通信事業」と位置づけ、郵政省との交渉に当たった。裁判になることも覚悟したが、全国知事会会長を務めていた長野知事が「それは電気通信事業法が悪い」と支えてくれた。郵政省に頻繁に通って交渉するうち、郵政省も途中からは協力的になってくれたという。

 県庁情報政策課の新旧課長代理や、藤井さん本人から聞いた以上の経緯は、藤井さんを持ち上げ過ぎている印象を与えるかもしれない。だが、「地域情報化」が成功するかどうかは、しっかりした見通しを持ち、周囲をその方向に動かしていく有能な推進者、指導者、さらにはそれを理解するトップがいるかどうかにかかっている、というのが筆者がこれまで、各地の実情を取材してきた結論だ。その意味で、中央官庁から出向してきたエリートという立場をうまく生かした藤井さんの能力、さらには、6期24年間も知事を務め、今になっては全国の都道府県の中でも最悪水準のバブルのつけを残したことがはっきりした長野前知事も、情報化については、部下に十分な力を発揮させた功績を評価されるべきだろう。


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