5.「インターネット革命」で一変


 先に「本当に取り組んでいるのは4県だけ」という広島県の担当者の声を紹介したが、筆者も「情報化」の効果には長い間、疑問を持ち続けてきた。「情報化によって社会や地域はこう変わる」とバラ色の夢が描かれるようになって久しいが、5年ほど前までは、その便利さを実感したのはファクシミリの普及くらいだったからだ。「農業革命、産業革命に続く第三の革命」などと言われながら、情報革命よりはむしろ「交通革命」の方が、我々の生活に与えた影響は大きいのではないか、というのが実感であった。だが「ウインドウズ95」の登場をきっかけにして家庭にまで入り込むようになったパソコンと、その直前に商用化されたインターネットの普及は、「情報革命」を具体化させたといえよう。

 80年代の地域情報化、あるいはニューメディアの失敗の最大の原因は、新技術に対する期待のふくらみに対して、一般の人が便利に使えるまでに技術が発達していなかったことにあった。これは既に指摘した通りだが、インターネットは、この壁を破る技術のシステムになろうとしている。無論、パソコンはまだまだ使いにくい道具である。発達のスピードが速すぎるため、メーカーは一般の人に使いやすくすることよりも、性能を上げた次の製品を出すのに追われる、といった状態が続いている。日本人にとっては何より、英語の世界で作られた基本的な用語や使用法を理解するのが壁になる。だが、そうしたマイナス要因にも拘わらず、インターネットの普及は社会、経済、政治の各面や人間の知的生活に「革命」を起こしつつある、と言えよう。この「革命」の中で、多くの人が真っ先に指摘するのが「距離と時間の壁をなくする」という効果だ。すなわち「地域」にとって、その影響が極めて大きいということである。

 筆者には10年ほど前、新聞社時代の先輩が四国のある大学の教授に転職した直後、「四国に行ったら情報が入らなくて大変だ」とぼやくのを聞かされた記憶が強く印象に残っている。だが、インターネット時代の筆者は、同じ悩みはほとんど感じずにすんでいる。現在、日本の最大のシンクタンクは霞が関の中央官庁だが、そこで出る白書や審議会資料などの多くが、わざわざ足を運ばなくても簡単に、しかも無料で入手できる。あちこちで開かれる講演会やシンポジウムの内容も、最近はインターネットで見られる場合が多くなった。さらに"新米教師"の筆者にとってありがたいのは、かなりの先生方が講義テキストなどをインターネットで公開してくれていることだ。これまでの学問体系の学習が不十分な筆者にとって、学会の権威や新進研究者の講義を手っ取り早く踏まえて自分の講義を組み立てることが出来るのは、何よりのことだ。

 この卑近な体験はさておいても、インターネットが社会革命を起こしつつあることは、枚挙に暇がない。証券取引が、手数料の自由化と共にインターネット利用に急速に移行しつつあることは、99年秋の経済ニュースの大きなテーマだし、次には自動車販売の電子商取引化が本格化しつつある。これらは、これまで全国に強大な販売組織を敷くことによってその地位を築いてきた業界の強者の地位を脅かすだけでなく、取引に比較の機会を増やし、取引のスピードも上げることによって、価格形成をはじめとした経済社会のあり方を大きく変えることになる。

 地域経済にとっては、明治以来の百年以上にわたって続いてきた中央集権化、東京への一極集中に歯止めをかける可能性が出てきた。電子商取引では、地方の中小企業も東京や大阪に本社を置く大企業と同じ条件で競争することが出来る。無論、これまでに築き上げてきた信用力などは、電子商取引を中心にした「サイバー経済」の時代になっても不変の要素である。だが、本当に良い商品を提供できる企業にとっては、東京も地方も変わりなく競争できる場が用意されることになる。働く場としても、大都市が有利、という要素は薄らぐ。首都圏のサラリーマンは、毎日1時間2時間ものラッシュにもまれ、値段の割には狭いマンションで窮屈な暮らしをする、といったマイナス面を我慢しながらも、都会生活の便利さ、社内・社外での情報入手の有利さと「人脈」の形成、などに魅力を感じていた人も多かった。だが、テレビ電話や電子メールの発達で、企業の意思決定も地方分権化が進む可能性が出てきた。自営でベンチャービジネスを起こす人たちにとっては、自然に恵まれた地方のSOHO(Small Office、Home Office)で職住一体の生活を送った方が快適で仕事の能率も上がる、といった条件が整いつつある。


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