初心忘るべからず
一九八三昭和五十八年四月一日、辞令を受けて職員室に上がると、
一期生進路合格者を朱書きした個票が張り出されていた。 狭山高校の 将来は一期生で決まるということで、皆かんかんになっていた。 結果は 「大成功」とされた。 その余韻がなお漂っていた。 二期生三年の担任を命じられた。一期生につづけという合言葉があった。 二期生は、勉学にも、部活動にも、生徒会活動にも、またやんちゃなことにも、 エネルギーを持っていた。 雪が積もれば授業中でも雪合戦をしなければ 収まらなかったし、授業中座席に坐っていたのは制服を着て教科書を広げた 犬であった。しかし先生方はそのエネルギーを諒とした。 狭山高校はパイオニア精神を尊重する。パイオニアとは、他に先駆けて物事 を始め、新たな道を切り開くことである。当時、狭山高校はその精神に満ちていた。 そして他からは「日の出の勢い」と恐れられた。 わが狭山高校はどこにでもある ふつうの学校になりたくない、十五年の在職中そう思いつづけた。 しかし狭山高校は初心であった。 世阿弥が「初心忘るべからず」と言う 「初心」である。芸を習い始めたたばかりの、あやふやでたよりないしたがって 謙虚な心、それを世阿弥は「初心」と言っている。 当時の狭山高校は「初心」 にあった。 その狭山高等学校も創立二十周年を迎えた。 おめでたいことである。 この節目にこそ、「パイオニア」たらんと邁進しながらもゆかしき「初心」にあった 創立当初に思いをいたし、もって現在の姿を正しく認識してみようではないか。 そのことが、引いては次の大きな節目、五十周年、百周年へとつながり得る であろう。 世阿弥は先のことばにつづけて、「初心を忘るるは、後心をも忘るる にてあらずや」、未熟なころの思いを忘れるのは現在についての認識反省をも 忘れることになると戒めている。 |