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〜友と語らん「鈴懸の径」〜
 

狭山高校創立20周年に寄せて

 

旧職員  国語科 北村修治

 
 
 
   狭山高校に転勤した時、一期生が3年生だった。前任校ではうグピー

部の顧問をしていたが、狭山ではバスケットボール部の顧問になった。

その年、アキレス腱を断裂してしまった。30代の半ばから40代の半ばま

で11年間の在職、思い出は多い。一期から十一期まで現代文や古文・漢

文を担当した。三・七・十一期では学級担任を経験した。同僚の先生か

らの刺激や生徒諸君からの影響は計り知れない。教師としての生き方を

教えられた狭山高校であった。

 狭山高校で「鈴懸の径」を発行出来たことを感謝している。私一人の

力量では到底無理な作業でクうスの生徒達の努力や、文化祭などの活動

があったればこそと思う。七期生では、 3年10組の生徒達と出会い、担

任としてではなく生徒としてその集団の中に居たかったという思いが強

かった。この一年を契機に十一期生では3年間千日修行のつモリで「鈴

懸の径」を発行し続けた。

 原稿の中心はやはり文化祭であった。何をするのか、どう作り上げて

いくのか、すべて筋書きなどはない。その集団毎に経緯は異なるが、成

功した時の感動は同じである。「龍踊り」「ウエストサイド物語」「フ

ラッグマ―チ」「サンバ」を思い出す。話し合いの時からフィナーレま

での苦労が「鈴懸の径」には残っている。振り返りはしないが、私の宝

である。

 今も多くの狭山高校の卒業生から便りを頂く。最も長く勤務していた学

校だから当然かもしれないが、近況を知らせて頂くのが教師にとって至

福の時なのである。現在もまだ「鈴懸の径」(2578号)を発行し続

けており、卒業生や恩師・同僚の先生方に送付している。皆様の思い出

話や近況など原稿を送って頂ければ幸いである。

                        1999年8月1日

 

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