近刊シリーズ紹介と関連テーマ情報

 

             『竜王のメコン河』(仮題)    第2回

                                   今年夏、発刊発売予定!

● 目次 (予定)

第1部 過去

( 1) 1373年 ランサン王国

( 2) 1571年 北ラオス ランサン王国

( 3) 1792年 ランナー王国 チェンセーン

( 4)        ?

( 5)        ?

( 6)        ?

▼第2部 現在

( 7) メコン河に   ?

( 8)      ? が丘

( 9) アメリカ  ?

(10)      ?

(11)   ? と仏法

(12) 美人の   ?

(13) 黄金の   ?

(14) メコン河の  ?

(15)  ?  との遭遇

(16)  ?    の秘密

(17)        ?

(18)       ?

(19)       ?

(20)       ?

(21)       ?

(22)       ?

(23)       ?

(24)       ?

(25)       ?

(26)       ?

(27) エピローグ

 


            書名 『竜王(ナーガ)のメコン河』

       (仮題)

 

著者:      ?

 

発行社:     ?

 

定価:      ?

 

総ページ数:   ?

 

発刊: 2000年夏、予定

  (概要は、順次明らかになっていきます)

   関連テーマ情報B

  ヴィエンチャンに遷都し、ビルマ軍と戦ったラーンサーン国王

      セーターティラート王

       (1534年〜1572年、在位1348年〜1372年)

 

  ラーンサーン王国のポティサーララート王は、チェンマイを都とするランナータイ王国のヨート・カムティップ王女(ケート・クラウ王の王女)を妃とし、その間に生まれたのが、セーターティラート王である。

 

 ランナータイのケート・クラウ王は、1525年に王位についたが、1538年に貴族の反乱でシャン地方に追放され、チャイ王子が一旦、ランナータイの王位についた。しかしこの王子は、5年間の統治だけで(1538年〜1543年)貴族の反乱に遭い殺害され、ケート・クラウ王が再び王位につくことになった。2年後の1545年、ケート・クラウ王も

重臣セーンドゥの反乱で殺害されてしまう。ケート・クラウ王にはもう王女しかいなかったため、王位継承をめぐって重臣の間に分裂が起こるが、最終的にはシャン地方の領主の王族の一人を推すセーンドゥが殺され、ラーンサーン王国のセーターティラート王子を推す派が勝利した。ケートクラウ王女であったチラプラパーが一旦女王となっていたが、1548年セーターティラートがランナータイの新国王としてチェンマイに入城した。

 

 しかしながら、その2年後の1550年、父であるラーンサーン国のポティサーララート王が事故で亡くなると、ラーンサーン王国では、重臣達がポティサーララート王の弟たちをかつぎ王位継承が争われた。この機会にランナータイ国王であるポティサーララート王は、チェンマイから舞い戻り、弟たちを制圧して、ランサーン国の国王にも就任した。

セーターティラート王は、チェンマイに戻ることは無く、ランナータイの国政はチラプラパー王女に委任しようとしたが、チェンマイではメク(メクティ)新王が擁立された。

 

 当時、ビルマではタウングー王朝(1531年〜1751年)が成立し、バインナウン王の下、周辺地域に猛威を振るっていた。アユタヤへは1547年、1563年〜1564年の攻撃に続き1569年ついにアユタヤ王国を征服。チェンマイへは1556年進軍し占領。1558年よりランナータイを支配下に置いた。こうした中でセーターティラート王は、1560年、ビルマからの来るべき攻撃に備え、王都をヴィエンチャンに遷した。新王都ヴィエンチャンは、1563年にビルマの攻撃を受け、1569年にはアユタヤの支援のために進軍したセーターティラート王であったが、ビルマ軍に敗退。ランナータイ・アユタヤとも征服したビルマ軍は1570年再度ヴィエンチャンを攻撃した。迎え撃つラーンサーン側はゲリラ戦で対抗し、ビルマ軍を追い返し独立を保った。

 

 しかしながらこのセーターティラート王も1571年(あるいは1572年)、ラオス南部アトプー(カンボジアのアンコールとする説もある)への遠征中に行方不明となった。王に恨みを持つ重臣に殺されたと見られているが、一部住民の間ではセーターティラート王は不思議な力を備えて生き長らえたとも信じられていた。

セーターティラート王が亡くなった数年後の1574年、ラーンサーン王国はビルマの支配下に服することになる。

 

(注:セーターティラート王がランナータイ王に就任していたのは、1546年から1548年までで、ポーティサーララート王が亡くなったのは1548年とする説もある。この場合、ランナー王朝の王位については、1545年から46年までがチラプラパー王女で、1548年からメク王が就任するまでの1551年までの4年間が空位とされている。)

 

●ストーリー展開場所

       (第1部第3章迄)

◆ナーン(北タイ)からルアンパバーンに抜けるルート上のメコン河周辺

◆メコン河近くのプーリ村(フィクション)

◆サルウィン川・モールメン

◆チェンマイ・チェンセン・チェンコン

◆ルアンパバーンの町

 

●ストーリー時代背景

         (第1部第3章迄)

 ●西暦1373年

 ●西暦1571年

 ●西暦1792年

 

 

●ストーリー登場人物

         (第1部第3章迄)

■ファーグム王 ■色黒の謎の大男

  ■サームセーンタイ王 ■カムポン大王

   ■占星術者 ■ヤックファー

■セーターティラート王 

■ラオ人スック(プーリ村の村長)

 ■ポーティサーララート王 ■ヨートカムティプ王妃

  ■ビルマ王 ■ヤックファー

 

■ジャン・デュプレ(フランス人探険家)

■フランシス・ライト(イギリス東インド会社船長)

 ■ファン・ウィストーフ(オランダ人探険家) 

  ■モールメン領主 ■ビルマ人のガイド

  ■ラオ人の船子

 

       関連テーマ・ワード情報(バックナンバー)

ラオスの歴史関連

     ●ラーンサーン王国の創始者ファーグム王

                     (1316年〜1373年、在位1353年〜1371年)

     ●ラオ族初の統一国家ラーンサーン王国

                     (1353年〜1707年)


その他関連テーマ

 

小乗仏教

 

ヨーロッパ人によるメコン河の探険  等