メコン圏の旅紀行・エッセイ

    関連データ

 

中国から国境を越えて隣国

ヘ向かう国際列車9路線

     (1997年11月現在)

●中国=ベトナム間

・北京西駅〜ハノイ 週2本

・昆明北駅〜ハノイ 週2本

●中国=北朝鮮間

・北京駅〜平壌 週4本

●中国=モンゴル間

・北京駅〜ウランバートル 週4本

・フフホト(呼和浩特)〜

    ウランバートル 週2本

●中国=ロシア

・北京〜ウランバートル経由

 モスクワ 週2本

・北京〜東北地方の満州里経由

 モスクワ  週2本

・ハルピン東駅〜ウラジオストク、

  ハバロフスク  週2本

●中国=カザフスタン

・ウルムチ(新疆ウイグル自治区)

   〜アルマトイ 週2本

 

 

北京西駅〜ハノイ行き

「特快5次」(月曜・金曜)

(ハノイ発が火曜・金曜)

 (97年当時の時刻表)

 

   0km  北京西   /23:20

 283km 石家荘   2:42/2:54

 695km 鄭州     7:41/7:53

  997km   信陽   11:38/11:50

 1211km  漢口    14:47/14:59

 1231km 武昌    15:22/15:34

 1449km 岳陽    18:36/18:47

 1589km 長沙    20:44/20:56

 1774km 衡陽    23:37/23:49

 1915km 冷水灘  1:55/ 2:07

 2130km 桂林北  5:28/ 5:38

 2136km 桂林     5:47/ 5:59

 2312km 柳州     8:33/ 8:45

 2567km 南寧   13:12/15:10

 2787km 憑祥   20:04/22:04

         (ベトナム時間)

      ドンタン22:00/ 1:00

      ハノイ    6:30/

 

国際列車といっても実際にはハノイ

まで直通せず、ベトナム領内のドン

タンで車両を乗り換えねばならない。

北京=南寧、南寧=憑祥、ドンタン

=ハノイ間はそれぞれ毎日運行。

 

 

 
   
chinarailway.JPG (111423 バイト)

     『中国国境列車紀行』@

    

           松本十徳 (写真・文)

           近畿日本ツーリスト 1998年1月発行

  

  著者紹介》松本十徳(まつもと・かずのり)

        アジア各方面を取材し、現在フリーカメラマンとして活躍中。

      著書に『亜細亜看看』(徳間文庫、1995年発行)などがある。

      広島県出身。千葉県柏市在住

chinarailway.jpg (155629 バイト) 

 本書は、中国から国境を越えて隣国ヘ向かう国際列車9路線 (1997年11月現在)中、6路線を1997年1月から6月にかけて乗車した旅紀行である。

   著者は、カメラマンとして以前より中国各地を何回となく撮影で廻り、中国国内はもとより国境周辺なども取材してきただけあって、一般の日本人にとってはまだ快適な旅とはいえない中国の列車の旅を、色々観察をしながらタフにこなしている。

  今交通の主役は飛行機ではあるが、大陸での陸路鉄道の旅は、大きな拠点を点で結ぶだけの航路と違い、町や人々の表情を等身大の姿で十二分に映し出してくれる上に、地域の置かれているポジションや鉄道輸送の重要性を再認識させてくれるものであろう。特に陸路鉄道での国境越えがイメージしにくい島国の日本人にとっては、国境鉄道の旅は、非常に有意義なものではなかろうか?

  ここでは、同書から、メコン圏に関係する2路線を紹介し、今回はまず北京=ハノイ間路線をとりあげる。

 

 

中越国際鉄道(北京=ハノイ)

 

1996年2月14日に再開された中越国際鉄道に1997年1月、始発駅となる北京西駅で「特快5次」(特快といっても、日本でいう特別快速ではなく、特急列車のこと)に著者は乗り込んでいる。総距離2,966キロ、3泊4日の旅である。北京発南寧行き「特快5次」の中央部に、ハノイ行き2両(一等寝台である軟臥車L1号車・L2号車。一両の定員36名の4人部屋のコンパートメント)が併結され、全部で20両編成の列車だ。運賃は北京から終着のハノイまで手数料の50元を含め、計1200元(97年当時)。国際列車らしく、北京大学や中国人民大学で語学・歴史を研究しているベトナムの人たち、ベトナム軍の大学で中国語を教えている人などと同じ列車内で知り合っており、中越の経済交流だけでなく、学術・文化交流の面でも両国の人の行き来は増えているのだろう。

 

 北京を出発して3日目の午後13:12に「特快5次」は、広西壮(チワン)族自治の首府・南寧の駅に到着する。ここで車両が切り離されて5両編成の「特快315次」ドン・タン行きとなる。ここでは約2時間の停車時間があり、自由に町に出て行くこともできるとあって、著者も駅前の南国の果物があふれた市場などを覗いている。午後15:10南寧を発った列車は、夜の20:04ベトナムとの国境の町・憑祥(ピンシャン)に到着する。以前は小さな国境の町に過ぎなかったが、92年に開放されて以来発展を続け、賑わいを見せている。同駅で、中国の出入管理の公安員が車内に入り、いよいよ出国検査が行われる。

 

 2時間後(現在は2時間以上、停車することになっている)の22時04分、憑祥駅を発車した列車は、ゆっくりと国境を通過していく。ここで時間は1時間戻りベトナム時間(日本との時差は2時間)となり、ベトナム時間の22時ちょうどにベトナム側の国境の町ドン・タン(同登)駅に到着する。ここがベトナムのイミグレーションとなる。

 

 中国の列車はここでお別れとなり、ベトナム側の列車「M2]に乗り換えなければならない。この列車車両はインド製で4両編成だ。この乗り換えの事情についても、著者は本書で説明を加えてくれている。それによれば「ベトナムの鉄道はメーターゲージ、つまり狭軌(1000ミリ)線路であるのに対し、中国側は標準軌(1435ミリ)であるために、列車の乗り換えが必要」とのことだ。中越戦争で破壊される前の北京=ハノイ間国際鉄道は、ドンタンからは標準軌と狭軌の両方に対応できる3線式の線路がベトナム領内に入っても敷かれていた。ただハノイに入る手前の紅河に架かる鉄橋の取替えが困難であったこともあり、ハノイまでは3線式線路は敷かれていなかったようだ。今再開された国際鉄道も、3線式線路は憑祥駅からドン・タン駅間のみとなっている。

 

 ドンタンから10キロ先のランソンを過ぎ、紅河を渡ると、ハノイの町だ。北京を出発して56時間の列車の旅が終わる。下車したハノイ駅のホームには、タクシーが並んでおり、著者を驚かせる。改札口を通り駅前に出る必要がないのだ。列車内で知り合ったベトナム人にホームからホテルまでタクシーで送ってもらった著者は、一休みした後、再びハノイ駅に出向き、今度は駅の外観などをしっかり観察している。尚、著者が同列車で知り合ったという北京大学で学ぶ日本人女性は更に、ベトナム統一鉄道「S3」を利用してホーチミン市まで車中2泊の旅を続けるとのことだった。

           ー 『中国国境列車紀行』の目次 ー

 第1章  国境の南3000キロの旅

             ・・・・・・・・・・・北京=ハノイ

         

 第2章  雲南の山岳地帯を行くメーターゲージ列車

             ・・・・・・・・ハノイ=昆明北 滇越鉄道

 

 第3章  知られざる近くて遠い国へ

             ・・・・・・・・北京=平壌

 第4章  中国・ロシア国境買出し列車(幻の東清鉄道)

             ・・・・・・・ハルピン=ウラジオストク

 第5章  遥かなりシルクロード列車

             ・・・・・・・ウルムチ=アルマトイ

 第6章  砂漠と草原を行く列車

             ・・・・・・・集寧南=ウランバートル