巻頭言

明 る す ぎ ず 、 暗 す ぎ ず

                                            石田 衣良

 

新しい年が始まった。東京は十七年ぶりという雪の正月だった。ぼくは父と四歳になる長男といっしょに浅草の浅草寺に初詣にいった。父はぼくがいくつになっても、家内安全のお札と護摩木を買ってくれる。ぼくにはなにも願いごとはなかったけれど、なぜか大願成就と墨書された木片にペンネームのほうを書いてしまった。小説家は自由業の注文仕事だから、いつでも厳しい競争にさらされている。今の日本と同じで半年先のことなど誰にもわからないのだ。

本堂では幾重も揺れる頭越しにさい銭を放った。抱きあげた長男はエイッとかけ声をあげて、まえに立つ男性の頭に十円玉を勢いよく投げつけた。すみませんと謝ったが、その人は振りむくと笑っていた。元気がいいお嬢ちゃんだね。長男は幼稚園にあがった今も、女の子のような顔立ちなのだ。下町の正月は人の心にも角がなかった。大阪の人にはわかりにくいかもしれないけれど、東京の東側と西側でははっきりと人の様子が違うのだ。

新しもの好きでファッショナブルで豊かな西側(これはほとんどの人がテレビを観てイメージする東京に重なる)と古くからの下町で慎ましく自分の分をわきまえた職人気質の東側。ぼくは東京でも千葉との県境に近い下町(正確には隅田川の川むこう)の生まれだから、東京の西側と手を組むくらいなら、大阪人といっしょにクーデターでも起こして新しい首都をつくったほうがいいと思ったりもする。

雪に煙った冬空のした本堂の右手にある二天門をでて、門前のそば屋で天ぷらそばを食べた。天ぷらは揚げたてで、だしをはじいて長々とそばのうえに浮かんでいた。父は数年まえに胃の手術をしたので、そうたくさんは食べられない。四歳の長男と半分ずつ分けあってちょうどいい分量のようだった。柚子の香りがとてもいい。

 

いしだ・いら

1960年東京都生まれ。広告制作会社勤務の後、フリーのコピーライターとして活動。その傍ら小説を書き、1997年、デビュー作『池袋ウエストゲートパーク』で、第36回オール讀物推理小説新人賞受賞。2001年『娼年』、2002年『骨音―池袋ウエストゲートパークV』が直木賞候補となる。著書に『うつくしい子ども』『スローグッドバイ』など。

 

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