「阿弥陀堂だより」。原作は文芸のところで絶賛した。筋はそれを参照されたい。小泉堯史監督。おすぎが「『砂の器』以来の日本の四季を美しく撮った映画」というように美しい。孝夫(寺尾聰好演)、美智子(樋口可南子好演)夫婦が郷里に帰り、汗をかきながら阿弥陀堂を訪ね、北林谷栄扮するおうめ婆さんに会ったとき、婆さんがぬるい茶をさも熱い茶のようにすする場面は原作に在ったが、茶を入れる前に婆さんが茶わんの埃を息で吹いて取るところに映画の工夫が在り、観客の笑いがまず取られた。笑いと言っても、観る者は単に笑っているのではなく、笑いながら涙をこぼしているのである。懐かしいのである。私もその周辺もみんなそうであり、そこから幕が閉じるまで、その状態がずっと続いた。原作にはない工夫の大きなそれは、孝夫の小学校の恩師とその妻である(田村高廣、香川京子好演)。恩師は癌に侵されているが医学の世話にならず死期を選ぶ。この設定は、原作に加えて美智子の回復をより確かなものにしている。小百合の手術と、恩師の死を乗り越えた美智子の将来を暗示し、生まれ育った土地でのみんなから惜しまれながらの尊厳的死の巨大な意義をも訴えている。観る者はまた、九一歳になる北林の芸に酔いしれる。このキャストはこの人をおいてないだろう。小百合が手術から生還したとき、そして恩師の妻が夫の死を報告に来たときに見せる北林の芸はまさに芸術である。手で相手を触るのである。泣きながら何も言わずただ触るのである。そして抱くのである。相手はそれぞれの表情でおうめ婆さんにしなだれかかる。田舎の情景の美と人の心の美しさ、病からの回復と尊厳的な死をずっと通して観て、劇場をでるときには、何かしら強いエネルギーを身体が受けたことを感じるであろう。原作者は解説パンフに登場し、書いてしまったら自作は読まないと言っている。原作と離れて映画は独自の価値を持つべきであるとの、南木佳士一流の抑えた表現であり、男を、いや人間を更に上げている。
★★★
「スターウォーズエピソード? クローンの攻撃」。原題もSTAR WARS EPISORD 2ATTACK OF THE CLONES。夏休みのジャリンコ君たちを避けて、かつ東京での予定の合間に盗み見た。若い日に観たスターウォーズ三部作を懐かしみながら、世間の好評に立ち向かって、私はエピソードTに★一つでもって酷評した(本誌四五号)。ストーリーが弱く、個人個人に魅力がないと言った。この評論がジョージ・ルーカス監督に届いたとみえ、三部作に続いていくストーリーを明確に暗示しつつ、登場人物に格段の魅力を持たせた。パターナリズムの弊に陥らない限度でのギリギリの改良は心地よい。前作のインベーダーゲームの趣は完全に相対的に弱められ、主題は遠い昔、はるかかなたの銀河系での、人間ドラマとなった。権力闘争、政治の醜い側面、正義の使徒(ジュダイ)たちの存在、正義の使徒たらんと努力するうち、自らの大きな能力に目覚めた若者が、能力と評価との間に矛盾を感じ反発し、また愛と憎しみの大きさにおののきながら流されていく様を克明に描く。観る者は登場人物のあれこれに自分を何重にも重ねることができる。エピソードVが明確に予告され、私はこれをまた待つことになる。オビワンのユアン・マクレガー、パドメのナタリー・ポートマンは前作のまま好演し、アナキンのヘイデン・クリステンセンも良い。その他、サミュエル・L・ジャクソンなど名優が脇役ででている。
★★★
「勝手にしやがれ」(WoWow)。原題A Bout de
Souffle。一九五九年、フランス作品。ジャン=リュック・ゴダール監督。ヌーベルバーグを代表する作品。モノクローム。南仏でアメリカ車を盗んだミッシェル(ジャン=ポール・ベルモントが男くささを振りまいて好演)は、コンソールに入っていた銃で追いかけてきたパトカーの警官を撃ち殺し、パリに潜入する。そしてシャンゼリゼでニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの売り子のバイトをしているソルボンヌのアメリカ人留学生パトリシア(ジーン・セバーグが愛らしくしかし憂いにみちて好演)に一目ぼれしてアパートに転がり込む。パトリシアは記者や文学者をめざしており、そのチャンスのために男と付き合うが徐々にミッシェルに惹かれていく。ミッシェルが最後に警官に撃ち殺されるまで、これといった劇的展開はなく、警察の追撃を逃れながら自動車窃盗を繰り返し、パトリシアと心が通じあう過程を描く。それでもパトリシアは金をもってイタリアに高飛びしようとするミッシェルには付いていかず警察に通告するのである。ミッシェルは仲間からも裏切られていた。多くの豪華な車、パリの町並み、ミッシェルが指で上唇をなでる癖、数々のクラシック音楽など、心理描写でなく直接表現を重視したところに従来の心理描写映画にはない新しい映画運動と言われるゆえんがあろう。もちろん現代の我々から観ると、この程度の直接表現に何程のことがあろうと思いがちだが、六〇年代に登場したミニスカートの衝撃を思い出すと良いだろう。現代の女性のファッションの多様は、当時のミニとは比べ物にならない短いスカート持つが、衝撃は六〇年代の方が大きかったからである。
★★★
「ひきしお」(BSフジ)。原題Melampo。一九七一年。フランス作品。マルコ・フェレーリ監督。フランス最高の美女とイタリア最高の男優とが競演した、深いニヒリズムの世界である。中年のイラストレーター、ジョルジョ(マルチェロ・マストロヤンニ熱演)はパリに妻子を置いたままエーゲ海の孤島の旧防空壕で、愛犬メランポとともに作品を紡ぎ、脱都会の自給自足的生活を送っていた。パリから離れた理由には妻との感情交流の食い違いが大きく影響していた。その孤島に都市の美しい女リザ(カトリーヌ・ドヌーブ熱演)が偶然訪れ、ジョルジョに保護される。二人は即日自分に欠けているものを相手に発見して結ばれる。彼は彼女を一旦近くの島にモーターボートで送り届けるが、彼女は都会と遊びの中にいる彼氏をおいて、再びジョルジョのもとを訪れ、メランポを殺して自分がジョルジョの愛犬的、奴隷的立場になる。ジョルジョには妻や子どもから帰国要求が強く出されるが、彼は彼女を連れてパリの自宅に一時帰国し、家族との別離を確定する。孤島に戻った二人を待つのは、ボートの喪失、都市との断絶、食糧等の不足であり、破滅への旅路だった。異常に見える設定だが、観る者は類似のシチュエーションを想像したり、見比べたりしながら美男美女、風光明媚の映像に見入る。原題は死んだ愛犬の名であり、元の生活からの離別を意識させる。
★★★
「ミリオンダラー・ホテル」(WoWow)。原題も THE MILLION DOLLAR HOTEL。〇一年。ドイツ、アメリカ共作品。ヴィム・ヴェンダース監督。ハリウッドに近い街、メディア王が所有する昔の豪華ホテル、ミリオンダラー。ここに入りびたっていた息子のイジー(ノンクレジットでティム・ロスがチラリと登場)が屋上から転落死する。メディア王からの依頼でFBIのスキナー捜査官(メル・ギブソンが持ち味を出して好演)が送り込まれて捜査が始まる。いまのこのホテルには、どこかおかしい極貧に近い男女が定住(私は一〇年ほど前、マンハッタンのコリア街にある安ホテルに泊まったことがあった。ホテルなのにかなりの人がアパートのように定住していて驚いたが、そんなホテルである)。ビートルズのメンバーで自分が曲を作ったのに誰も賞をくれないというミュージシャン、インディアンの大酋長だと確信にみちて言う者などなど。その中でイジーの親友で知的障害のトムトム(本誌四四号で絶賛した「プライベートライアン」で伍長を好演していたジェレミー・デイヴィス)が、本だけが生き甲斐の聖女のようなエロイーズ(四一号で絶賛した「フィフス・エレメント」のミラ・ジョヴォヴィッチ)に恋している。スキナーに追いつめられて住民達はトムトムであれば心神喪失か何かで罪になることはないからとして彼を犯人に仕立て上げようとする。しかしスキナーもエロイーズもトムトムが犯人ではないと確信し、逃がそうとするが、一瞬の隙に彼はホテルの広大な屋上を全力疾走して加速を付けて身を投げる。このジャンプは観る者を「ベルリン天使の詩」の世界に瞬時にしていざなう。ジャンプの瞬間トムトムは思い出している。イジーの死ぬ前の告白を。イジーはエロイーズを強姦し、しかもいかにひどいセックスであったか、汚れた女だったかをトムトムに話し、本気か戯れか屋上からトムトムに落としてくれと言うのだった、トムトムは最初はイジーの手をしっかり握って落ちないように支えていたが、エロイーズへの侮辱的な言及に堪え兼ねて手を放し、イジーは転落したのだった。トムトムは、人生は何とすばらしかったことだろうと想いながらミリオンダラー・ホテルの各階の窓窓を見ながら落ちていく。いつもながらわかりにくい作品だが、登場人物の誰一人として傷ついていないものはなく、捜査官も含めて進退両難の状態に置かれていること、そのなかでの純粋な恋の成立を好感をもって描くことに、ヴェンダースの心境があろう。私には「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(四七号で絶賛)以来の作品である。
★★★
「プルーフ・オブ・ライフ」(WoWow)。原題もProof of Life。二〇〇〇年。アメリカ作品。テイラー・ハックフォード監督。ロンドンのシティでモダンかつ瀟洒な建物として目を引くロイズをモデルにした世界に冠たる保険会社の人質交渉人として、テリー(ラッセル・クロウいつもながら熱演)は世界各地で誘拐された人々を解放させるため犯人グループとの危険な金銭交渉にあたっている。オーストラリア生まれでイギリス軍で特殊部隊に属した経歴を持つ。南米デカラ(架空の国だがロケ地にはエクアドルが選ばれている)で、石油会社に所属し、会社方針で住民の歓心を買うためダムを建設中のピーターが、反政府ゲリラに誘拐される。テリーが派遣され、ピーターの妻アリス(メグ・ライアン好演)に必ずピーターを取り戻して見せると励ます。しかし、会社が経費節約のために誘拐保険をキャンセルしていたことが判明し、アリスに非難、哀願されながらもテリーはロンドンに帰社する。しかし再び過酷な任務を与えられかけたとき、彼は個人の立場でアリスのために働こうとデカラに帰る。プロ中のプロとして困難な交渉に当るテリーの姿にアリスも彼を深く愛し信頼している自分を発見する。テリーの家族関係、アリスの流産経験と夫との確執も回想される。他方ピーターもひとかどの男で、アリスとの生活をやり直すことを心の糧に人質生活百日を越えても生への希望を捨てず頑張っていた。テリーは交渉が暗礁に乗り上げたとき、アリスのために危険を顧みず、信頼できる仲間を選んで人質脱出作戦を立て、ピーターを奪還する。そして相互の深い愛を認識しながらテリーはアリスをピーターの元へ返す。ジョーン少年はいないけれども「シェーン」を思い起こさせる幕切れである。終了後、長いクレジットの間に、カメラはデカラの街、山々を縫うように追い続けて、長いたたかいと原住民の生活、過酷なアンデスの自然を写し、テリーの傷心を表す。ラッセルとメグの実生活での不倫が発覚し、話題となり、この秀作の足を引っ張ったのは痛い。WTC事件の一年以上前に、ゲリラの生態をこれほどリアルに描いた作品として記憶に残るし、何でも保険の対象として利益に還元する資本主義の爛熟を描いて生々しい。
★★★
「バンド・オブ・ブラザース」(WoWow)。原題もBAND OFBROTHERS。テレビで一〇時間にも登る第二次大戦ヨーロッパ戦線でのアメリカ軍の物語。「プライベート・ライアン」(本誌四四号で絶賛)の監督、主演のコンビであるスティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスが制作総指揮にあたったことも話題である。各回で監督はすべて異なり、トム・ハンクスは第五話の監督を務めている。第一話「翼のために」はこの作品の主人公となる第五〇六空挺歩兵連隊「E中隊」が、まずジョージア州トコア基地で新兵訓練を受け、イギリスへ渡り降下訓練などが続けられる。中隊長のソベル(D・シュワイマー)はスパルタ方式で隊員を試す。隊員はそのことへの反感は抱きつつも、ついに爆発するのが現場訓練での隊長の能力不足であった。命を懸けての抗命の結果、罰として隊員の降格などを伴いながら、隊長は交替させられ、部隊は大作戦前夜、フランスへの降下のため発進していく。中隊はウインタース大尉(ダミアン・ルイス好演)に任される。第二話は「ノルマンディ降下作戦」。Dデイ(上陸作戦の日)前夜にE中隊はパラシュートでノルマンディに侵攻し、ドイツ軍の対空砲火と砲兵隊と激突する。ウインタースははぐれ武器を失うも戦い続け、合流後ドイツ砲兵隊を殲滅する。共に行動した新兵を失い、指揮官としての苦悩を味わう。第三話は「カランタン攻略」。フランスの村カランタンでの激しい戦闘である。戦闘に翻弄され、仲間から励まされ勇気を出して戦闘し負傷する新兵を中心に戦闘そのものを克明に再現する。この作戦終了後、短期間イギリスで休養し、再びE中隊はオランダに空輸される。第四話は「補充兵」。オランダに降下した中隊を待つ激しい戦闘、アインフォーヘンを解放したと思い気や押し返される。戦線が負傷者で埋まる中、補充兵が先輩達に教わり、相互不信を持ちながらも、成長していく様が描かれる。古参のブル軍曹の活躍と被占領地住民との交流が描かれる。第五話は「岐路」。一〇月だから帰趨は客観的には決まっているのだが、各地の戦線ではドイツ軍が反撃に出る。オランダからベルギーのバルジでの反撃とその攻防を通じてウインタースが若いドイツ兵を殺し悩む場面が描かれる。戦場では殺されるか殺しているかなのだが、意表を突かれる生死のやり取りには心が病む。ウインタースは大隊の副官を任され、事務作業にも就く。パリでの外出許可での所在なさと神経のトーンダウン、休暇取消での任務回帰のむごさを描く。バルジ大作戦のさなかである。第六話は「衛生兵」。ベルギーのバストーニュでの雪の中の限界状況。敵の包囲の中での衛生兵の英雄的活動と極限の環境での奉仕と心の病を描く。第七話は「雪原の死闘」。引き続きバストーニュの雪の中で、昇進目的に配属されているイエール大学出の中尉の臆病と多くの勇敢な兵士も過大な恐怖により神経と心がズタズタにされる様を描く。また冷酷無比の噂のある中尉が、いざとなったときにE中隊の指揮をとり、噂は噂にすぎなかったと敬愛される情景も描く。やっとフォイを解放するが、多数の犠牲者を出したバルジ大作戦であった。第八話は「捕虜を捉えろ」。敵の陣地に忍び込み、数名を捕獲し、情報を探る偵察作戦。危うい任務への選抜に怒る兵士と、ウエストポイント(陸軍士官学校)出の戦闘経験のない少尉及び負傷が癒えて帰隊した上等兵とが志願して任務に当る様を描く。戦場における敬意と友情は勇気でしか築き上げられないことを訴えた。軍上層の気分で行われている作戦と見たウインタースは二度目の偵察命令を無視して部下を守る。彼は少佐に昇進する。第九話は「なぜ戦うのか」。E中隊はいよいよドイツに到達した。村の娘とセックスにいそしむ隊員も出るのんびりムードの中、パトロール中の隊員が「ダッハウの強制収容所」を発見し、ユダヤ人の骨皮だけの収容者を解放し、建物、列車、いたる所にある陰惨な死体の山を住民とともに片づけて埋葬する。ルーズベルトの死、ヒトラー自殺の報も入る。第十話は「戦いの後で」。E中隊はナチスの拠点ペルヒテスガーデンとヒトラーの隠れ家イーグルズ・ネットを占拠する栄誉を得る。ドイツの降伏があり、ドイツ兵の武器解除などに取り組むが、気が緩み、事故や犯罪が多発し、隊員は戦後の生活を思い浮かべる。日本戦線への投入もささやかれるなか、日本も無条件降伏し、完全に終戦を迎える。生き残ったものの感慨は深い。この長い戦争のドラマは、戦場における極限状態と異常心理を描いた。戦争は狂気であることを描いた。兄弟の絆は、敵を殺す行動、傷ついた者を勇気を出して救出する行動でしか築けないことを描いた。単純な結論に観る者は了解する。
★★★