2003.01.30

Masahiko plays Masahiko
と書くと、自分の曲を自分で弾く、としかとれないのがアルファベットの限界ですね。
実はこれ、漢字では「允彦 plays 雅彦」なのです。
富樫さんが作曲家として出発するのを記念して、これまで書いた曲のなかからバラードを主にしたアルバムを作ろう、ということになりました。そうしたら「じゃ、新しいのを書くから、それも入れてよ」と、富樫さんがあらたに3曲作ったのを加えて全12曲。1月末に最終作業のマスタリングがおわり、現在ジャケット制作が進行中です。
新作3曲中の1曲は、1月11日におこなわれた山下洋輔さんの新年初コンサートのためのものだったので、彼による「世界初演」に敬意を表して録音をその後にしました。他はすべて2002年12月19日です。
通して聴いてみると、メロディーメーカーとしての富樫雅彦像が見えてくるように思います。先鋭的な打楽器奏者のイメージとは全く異なる、ロマンチックな一面です。

【収録曲】

  1. My Wonderful Life −新曲−
  2. Memories
  3. Waltz Step
  4. Valencia
  5. May Breeze
  6. Reminisce-'63
  7. Song For Domingo
  8. Little Star
  9. Rumba Of May −新曲−
  10. Little Eyes
  11. Spiritual Nature
  12. Till We Meet Again −新曲−

自分でいうのもなんですが、なかなかくつろげるアルバムですよ。
2月26日発売予定。乞う御一聴。

2003.03.04
Themba Tanaさん
テンバ・タナ。南アフリカのパーカッッショニストでカナダのバンクーバー在住。一緒に演奏したのはたった一回ですがどういうわけか十年来の知り合いです。毎年のように来日し、宮崎県延岡の子供達のためにパーカッション・ワークショップを開催しています。
「また演奏したいね」という電話をもらって、2月22日《風と土のまつり》出演のために延岡へ行きました。我々の演奏についてこまかく御報告していると長くなってしまうので割愛して、私がとても面白く、また参考になったのは、テンバさんのワークショップの成果を披露する子供達とテンバさんの“のこのこ楽団”のステージでした。
一拍の二分割と三分割、つまり八分音符ふたつと三連音符を行ったり来たりするのは初心者にとって難しいのでは、と思っていたのに、幼稚園や小学校低学年あたりの子供達がいとも簡単に演奏して、見事なアフリカンリズムの萌芽を表現していたことです。
子供の潜在能力は、指導者さえ良ければいくらでも開花するものですね。
ランドゥーガも頑張りたいと思いました。

2003.03.31

別人
3月22日、新聞に私の死亡記事が、と驚いて電話をくれたひと、御期待に添えず申し訳ありません。その日、私は高槻の《スタジオ73》で山口真文さん(sax)とデュオで盛り上がっていました。

【佐藤允彦さん】21日肺ガンのため死去。71歳。相愛音楽大学名誉教授。音楽学。ショパン研究により1979年ポーランド国家文化功労章を受ける。

そう、以前エッセイにも書いた同名異人です。覚えのない原稿料が振り込まれてきたり、ショパンについて執筆依頼があったりしたので、おいでになることは存じていましたが、お会いする機会がなかったのは残念です。
もうひとり、宮城県大船渡にいらっしゃる佐藤允彦さんはお元気かな。
三人で対談でもしたら面白かったでしょうね。文字どおり佐藤允彦トリオ。

2003.05.06
志ん弥一夜
落語好きが高じて、ついに落語会を企画してしまいました。
と言っても自分で高座に上がってしまっては、主人の下手な義太夫を無理やり聴かされる噺=『寝床』になってしまいます。いくらなんでもそこまでの厚顔無恥ではありません。
名人への道をひた走る古今亭志ん弥師をお呼びして、少人数でじっくり話芸を楽しみたい、という仲間が増えてきたために、このような趣向になった次第。
チェンバロの響きを引き出すために設計された松明堂音楽ホールは、中世の石造りの礼拝所のような空間です。
ここで語られると江戸情緒はどんな装いを見せてくれるのでしょうか。そうそう、出囃子は私が担当します。むろん三味線ではなくチェンバロで、です。
6月1日(日)14:30開場。限定80名限り。予約はお早めに。

2003.06.02

日本発
文学、アニメ、ゲーム、ポップス等々、日本発で世界に受け入れられるものが多くなっているのは喜ばしいことです。しかし、ジャズの分野で、日本人の手になる曲が世界の何人ものミュージシャンに演奏されてスタンダード・チューンの仲間入りした、ということをまだ聞きません。もしかしたら私が知らないだけなのかもしれませんが。
ジャズが日本に定着して、もうずいぶん長い年月が経ちました。その間に先輩方がたくさんのオリジナル曲を作っています。私の手許にもレコーディングのときに渡された楽譜などが何曲もあります。それらのほとんどは一度LPやCDにおさめられただけで、廃盤になってしまえば再び耳にすることができません。
完全な再現はむろん不可能ですが、時間の彼方に埋没してしてしまわないうちに私のできる範囲内で佳曲、名曲に光を当ててみたいと思っています。
ライブなどで少しずつ御紹介するために、楽譜の整理をはじめたところです。

盛会・志ん弥一夜
ASHOT企画落語会第一夜、いっぱいのお運び有難く御礼申し上げます。
『だくだく』『唐茄子屋政談』絶品でしたね。
チェンバロのために設計された松明堂ホールが落語にも適していることがわかりました。志ん弥師匠から「とてもやりやすかった」という御墨付きもいただきました。終演後「次はいつ?」「またやれ」の声多数あり。
ノリやすいASHOTといたしましては、今年中にもう一夜、と思いはじめているところでございます。

2003.07.01
危機管理能力
予想もしなかった事態が起きたとき、とっさの判断ができるかどうか。
一国の指導者、企業のトップなど、責任のある立場に置かれたものにそなわっていなければならないのが危機管理能力です。
でも、そんなポジションを与えられることがまずありえないものからすれば、天変地異、戦争、火事、事故などに遭遇したら、あれよあれよ、と右往左往しつつ事の成りゆきのままに流れて行ってもたいしたことはない。われわれミュージシャンなる種族は、その典型といえそうです。
なにしろ音楽、ことにジャズなどに「危機」なんてぇもののあるわけがない。どれほど崩壊したって命を落とすまでにはならないんですから。
と思っていました。
ところが、アレンジャー、グループのリーダー、のようなものは多少なりともそういった心構えが必要なのだな、と痛感する事態に最近直面しました。
ステージ上での信じられないハプニング。歌手1人、演奏者12人の空中分解を聴衆に気取られることなくどうやって収拾するか。録音だったら「ハイもう一度」で済むけれど、ただ一回のパフォーマンス。かなりの予算を投入したイヴェントがこれで台なしに、となったときの緊張感。
あとで考えればほんの一瞬のできごとでしたが、冷や汗滝のごとし。
命が49日は縮んだことでしょう。
それはどこのできごとかって?
ま、ほとぼりが冷めたころ別ページでバラすか。

2003.07.31
ギャグ近作
1)「そんなに飲んで大丈夫?」
  「俺は酔ってない。酔ってないよ〜。うぷっ」
  「あ、気持悪いんじゃない?」
  「大丈夫、だいじょ〜ぶ。まだ電通」
  「え? なに? でんつう?」
  「そ。博報堂じゃない」
   ※わからない人のために → 吐くほどじゃない
2)合鴨 standard シリーズ
  『合鴨 give you anything but love』
  『合鴨 you under my skin』
  『合鴨 kick out of you』
  『合鴨 have danced all night』
  『合鴨 write a book』
   まだあるけどやめた。暇だねぇ〜。

2003.09.01

初対面一発勝負
会ったことも聴いたこともないミュージシャンとレコーディングしました。
聴いたことがない、というのは私の勉強不足でしょうが、知らないものは仕方がない。当って砕けろ。急いで曲を書き、二日で録音完了。裏話をEssayに書きました。そちらも見てください。音のほうはCDをお楽しみに。
写真は左がベースのカルロス・デル・プエルト、中央がドラムスのエル・ネグロ・オラシオ・エルナンデス。なんともハイ・テンションのふたりに二日間つきあったら、こちらも何やら元気になってしまいました。
キューバって町中こんな人ばかりなのでしょうか。だとすればひと月ばかり行ってきて人格がすっかり変わってしまったベーシスト、坂井ベニやんの気持が少しわかったようでもあります。

ロシア
スケジュール表に9月後半のライブがないのは、ロシアへ行くからです。ドクトル梅津氏とデュオ、あるいはそれにウラジーミル・タラソフ(dr)が加わるか、さらにローレン・ニュートン(vo)が加わるか。
いずれにしてもすべてフリー・インプロの世界です。リトアニアのヴィリニュス、モスクワ、アルハンゲリスクなどで数回の演奏をしてきます。
たぶん珍道中になるでしょう。
人格変わるかな。

2003.09.29
ロシア行き中止
出発の2、3日前から体調に一抹の不安が生じてロシア行きを断念しました。
モスクワ〜アルハンゲリスク間1000kmを丸1日かかる列車で往復するという旅程があったりして、前回のロシア極東、前々回のバルト〜ロシア夜行列車の体験を思い浮かべると「ちょっとヤバいかも」と。
直前キャンセルで梅津さんひとり旅になってしまいましたが、「ボクは大丈夫」と力強い言葉をいただきました。そう、彼ならラオスの山中だろうがアフガンの砂漠だろうがサックス1本で生き抜く力あり、です。きっと熱演でかの地を席巻してくれているはず。
ちょうど10年前、まだ独立間もないリトアニアは惨澹たる窮状でした。その後どうなったか、を見る良い機会だったので多少心残りでしたが、そのあたりは梅津さんの見聞録出版に期待しましょう。
診断では特に異常は見当たらず、一過性のものだったようで、降って湧いた2週間の休暇をのんびり楽しむはずが、何だかアっという間に過ぎてしまいました。

2003.11.04

Tipo CABEZA レコーディング終了
10月29日〜30日、《Tipo CABEZA》初アルバムの録音をしました。
CABEZA=カベッサと読みます。スペイン語で「頭」という意味ですが、本当は加藤のカ、岡部のベ、佐藤のサを組み合わせたものだ、と以前ご紹介済みです。Tipoはタイプ、つまり「カベッサ型トリオ」ですね。
2日間で11曲。パーカッションのオーバーダビング(岡部さん、ほとんど千手観音状態!)も含めてですから、かなりのスピードだと言えます。ライブでおなじみの曲に新曲も加えました。ラテン系、アフリカ系、アジア系、無国籍系、もちろんジャズ系、さまざまな味が楽しめますよ。
来年はじめにトラックダウンとマスタリング作業をやって、お手許に届くのは春頃でしょうか。
相当楽しめるアルバムになった、と確信しています。
乞う御期待。

区切りの年
身近な先輩たちの訃報が続いて、なんとなく時代の区切りを感じます。
9月12日笈田敏夫さん、享年78歳。11月1日ジョージ川口さん、享年76歳。
ジョージさんは1958年《ビッグフォー+1》結成時に、まだ駆け出しのピアニストだった私を採用してくれた、いわば育ての親です。ここで受けた宮沢昭、渡辺貞夫両サキソフォン巨頭のキビシい薫陶が私のジャズの根になっています。
笈田さんは大学の大先輩。今年6月、〈ハママツ・ジャズ・ウイーク〉のフィナーレで同じく大先輩の北村英治さん(cl)、人間国宝 山本邦山さん(尺八)、ヘレン・メリルさん(vo)と“It's Don't Mean A Thing”を演奏したばかりでした。「久しぶり、マサヒコ、元気かい」と歯切れの良い口調は全く変わらなかったのに。
ジョージさんと笈田さんは「ゲソ」「ジョージ」と呼び合う仲で、1959年のクリスマスだったか、ジョージさんからケーキの箱を「これ、プレゼント」と渡された笈田さんが「何だか怪しいな」といぶかりつつ楽屋へ持って帰り、数秒後「ギャーッ」と叫んでそのまま姿を消してしまったことがありました。箱の中身は蛇で、「ゲソの怖がるものでおどかしてやろう」というジョージさんのいたずらが効き過ぎたというわけです。おかげでその日の《銀座アシベ》はゲスト・ヴォーカルなし。ちなみに前夜ジョージさんの言いつけで渋谷の店に蛇を買いに行ったのは私です。
「高度3000メートルから錐揉みで落ちて、地面に直径100メートルの穴があいたよ。その時のだ」と顎のキズあとを指して「カッカッカッ」と笑っていたジョージさんが加わって、向こう側はますます賑やかになることでしょう。合掌。

2003.12.02

ほう言
ファミコンことば、と言うんだそうですね。
ファミリーレストランやコンビニで使われるマニュアル化された言葉のことです。
まったく妙な日本語で私は聞くたびに背筋がゾクッとします。
「おビールのほう、お持ちしました」という〈ほう言〉。
ビールしか頼んでないよ。ビールじゃないほうって一体何だ?
「こちらお新香になります」という〈成増弁〉。
なに? じゃ今はただの野菜か? 待ってると自然に漬け物に変ずるってか? もっと待ってると煮物にでもなるってわけか? 明日にゃ蛙になって見せろぃ。
誰かこいつらを征伐してくれませんかねぇ。

忙中そら耳
このところここ数年なかったほど忙しい。処理速度が落ちたのかな、と思わずにはいられません。12月中旬まで追いまくられ続ける予定になっています。
そういう時には駅のアナウンスにも文句をつけたくなったりして、
「三軒茶屋、さんげんじゃや〜」なにぃ? 三軒じゃいやだ? 何軒なら良いってんだ?
「表参道、おもてさんど〜」表サンドだぁ? なら裏はトーストかい?
「発車まぎわの駆け込み乗車はおやめください」発車まぎわの炊き込みごはんはおやめ? 茶漬けなら喰っても結構ですってか?
あ〜あ、疲れてるなぁ……