学習会報告
「東海村JCO臨界事故の被曝とその後の裁判について」 A
●JCO臨界事故と健康実態・被曝線量調査
【JCO臨界事故とは?】
1999年、9月30日、午前10:35発生。
ウラン溶液の加工作業で核分裂の制御がきかず「臨界」となり青い閃光と多くの放射線が出続けた事故。
【被害は?】
作業員2名が特に強く被曝した。
その様は原爆症を連想させた。
83日後1人死亡。
約半年後2人目死亡。
日本の原子力開発史上初の犠牲者と一般住民の被曝を生んだ。
さらに160m圏内の住民160人は避難・350m圏内の住民31万人は屋内退避という騒然とした状況を引き起こした事故。
【原因は?】
裏作業マニュアルがあり、その上専門知識の乏しい作業員が効率化を工夫し、マニュアルと異なる方法を提案。
先輩にその方法を確認する。
しかし普段扱う低い濃縮度ウランを想定したため問題ないと回答を受けた。
管理・教育不足と人為的ミスがあった。
その背景には、動力炉燃料開発事業団が普段よりも高い濃縮度のウラン溶液の特注品を依頼。
通常扱う低い濃縮度のウラン溶液であれば、この事故は起きなかった。
更に電気自由化の影響で経営が切迫してきた状況もあった。
事故原因の因子は多岐に渡る。
事故調でも100以上の提言が出された。
【健康実態・被曝線量調査】
阪南中央病院の有志(医師・看護師・事務職員ら)が「臨界」事故の情報を知り、当時の科学技術庁はマスコミを通じて「健康被害は大丈夫」と早々に報道したその「大丈夫」に対し、疑問を持ち、健康実態調査と被曝線量調査をすることとなった。
《目的》
・健康被害の実態を明らかにしたい
・国の言う被曝線量があまりにも低いので線量評価をする
・将来、被害に遭われた方々が、被害を訴える時に役立ててもらいたい
《健康調査でわかったこと》
・線量が多いほど、症状を持つ人が多い(被曝一ヶ月以内)
・線量が低くても症状が出てくる人が多い(被曝10ヶ月〜1年半後)
⇒時間が経過するにつれ症状の悪化を訴える人の割合が増えた
《被曝線量調査でわかったこと》
・当調査で最も高い181mSvの被曝を受けた人は、国の線量評価では30mSv程度
(国の線量通知と比較すると(35人)国はトータルで6倍以上の過小評価であった)
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