藍生ロゴ 藍生6月 選評と鑑賞  黒田杏子


独りきて修二会の大和その闇に

(福島県)久保 羯鼓

 東大寺二月堂の修二会。若いとき毎年のように通ったので懐しい。その闇に包まれて佇つ久保さんは八十六歳。はるばるとみちのく福島からやってきたのである。ずっとあこがれていたのであろう。四句それぞれに作者のこころのたかぶりが刻印されている。句友と連れ立ってゆくのもよいが、単独行もまた格別。この人の句作に打ち込む姿はその行動力と共に私たちを励ます。四月の秩父の桜花巡礼にも参加され、いきいきと動き廻っておられた。「参加できてありがたいです」と。



遺されし鞄に春風を詰める

(京都府)河辺 克美
 この句に出合って、「アッ」と思った。見送られた方を詠む句は多い。巧拙を越えてそれは心に迫る。この鞄は亡くなられたご主人の遺品であろう。遺品を詠んだ句も無数にある。大方はウェットな作品となる。河辺俳句の遺品はアートである。オブジェとなって、故人と共に生きて在る。かろやかに春風をたっぷりと容れてもらって、懐かしくそこに在るのだ。この一行は河辺さん快心の作だと思う。藍生集の収穫であり、私も傑作と思う。



月の径椿の上に椿落ち

(静岡県)岩上 明美
 明美さんも四十六歳。天城山中に棲みついて歳月が流れた。何という静謐な刻。そして豪華な時間。月光に照らされて昼のように明るい森の中の径。そこには藪椿の紅い花が折り重なるように散り敷いているというのだ。作者はしばし立ち止まり、しばし句を案じた。頭をひねる必要はない。見たまま、ありのままでいいと思った。岩上明美さんの人生はまことに豊かである。


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