藍生ロゴ 藍生11月 選評と鑑賞  黒田杏子


月涼し涼しと雲を飛ばしけり

(静岡県)岩上 明美

涼やかな夏の月を仰ぐことはどこでも出来る。けれども天城山中の山葵農家に嫁いで母となり、句を詠みつづけている岩上明美さんほどの美しい月を眺めることは出来ない。夏の月が雲間を走る。これ以上空気のおいしいところもない家の縁側でこの人はうっとりと月を見上げながら、この一行のことばを授けられたのであろう。一句一行の言葉のあっせんのすばらしさ。じっくりと一字一句を吟味味わっていただきたい。雲を飛ばしけり。何と鮮烈な情景、秀吟である。




卵割りつづけ祇園祭ゆかず

(京都府)河辺 克美
京女河辺克美さんならではの作である。祇園祭の賑わいを心の内に置きながら、伏見深草町の昔ながらの家屋に在って、普段と変らない台所仕事に身を入れている。卵割りつづけ。ここが面白い。書家であり、俳人であり、主婦である人でなければ出てこないことば。河辺克美俳句近年の傑作である。



干網を持てば残暑の砂埃

(新潟県)斉藤 凡太
凡太さん88歳。句集『磯見漁師』はいま東京神保町の古書街で何と五千円。それでも読みたいという人が居られる。「ラジオ深夜便」二夜連続もアンコール放送。NHKテレビ「新日本紀行」にも出雲崎の俳人として登場。そのような現実に対応しつつ、淡々と漁師としての生業に打ち込む人のこれは日常詠。凡太さんの季語は動かない。この句の残暑の働き、置かれ方に学びたいと思う。


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