藍生ロゴ 藍生12月 選評と鑑賞  黒田杏子


鈴虫の餌にんべんの鰹節

(東京都)深津 健司

 作者は鈴虫を飼っているのであろう。屋内の一角に捉えられたその甕の中でいま鈴虫はあの何とも言えぬ美声を響かせている。餌として鰹節も与えているのであるが、作者は江戸っ子。やはり三百二十年も続く江戸の老舗にんべんの品を与えている。事実そのものを詠んで、読み手の心をゆたかにし、ほほえみを誘う。勤めを了えた今も作者が家を出るときは愛妻が切火を切ってくれる。七十三歳の元サラリーマン俳人のすこやかにして風雅な暮し。アニミズム俳句などという野暮なレッテルとは程遠い秀句である。



流れ星天にさざなみのこしけり

(京都府)滝川 直広
 流星の句としてすばらしいと思う。私は大昔、インドのデカン高原に野営した。アマチュア天文学者の一行に同行、皆既日蝕を観測出来た。寝袋に身を横たえると、プラネタリウムそのものの天空が広がっていて、足元にはサザンクロス(南十字星)も認められた。夜が深くなるにつれて流星がしきりとなる。あの折はあまりの感動で一句も作れなかった。ただ句集名に『日光月光』などという文字を冠したいと希ったのは、遠い日のこのときの体験とかかわりがある。ともあれ、滝川直広作品は見事である。この一句に到達したこの作者の「行」を讃えたい。



秋刀魚売るそこだけ強くかがやける

(神奈川県)竹内 克也
 秋刀魚の句は世に満ちあふれている。三月十一日を経て、秋刀魚を詠む私達日本人の句にはまた別のニュアンス、思いが加わってきている。現在、NHKの番組制作、それも料理にかかわる仕事をしている作者であるが、それは作品とかかわりがないだろう。ともかく鮮魚売場で秋刀魚を詠んでいるところが新鮮である。この作者の作風にも変化がみられる。知的でユーモラスという世界を詠みあげてきて、この句あたりから飛躍が感じられる。三陸から東京に届いた秋刀魚の美しさ、存在感がかなしいまでに見事に描写されている。


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