|  藍生10月 選評と鑑賞  黒田杏子 | 
| 神の蛇いそいでますと言ひて消ゆ (京都府)河辺 克美 | |
| 神事の場であろうか。ともかくこの蛇は野に棲んで、石積の間などから出入りしているような蛇ではない。その蛇がいま衆目をあつめたのちに、するすると立ち去ってゆく。立ち去るという言い方では当り前。作者を含む人々の眼前から姿を消していったという句である。いそいでますと言ひて消ゆ。この表現によって、神のお使い、またはご神体の蛇が実にいきいきとした存在となってくる。河辺克美レトリックの妙である。 | |
| はじまりもをはりも梅雨の海の音 (神奈川県)名取 里美 | |
| 何のはじまり、何のおわり。それはどのようにも受けとれるし、感じとっていいのだ。本年度の鎌倉での全国大会ということもこの作者の句であれば想定することは出来る。梅雨の海の音。と止めたことによって、この句は物語性を持つことにもなったようである。 | |
| 母国語と母語青梅雨の夜の会話 (埼玉県)寺澤 慶信 | |
| 母国語は外国に居る人にとって、自分の生まれ育った国の言葉。母語は外国語も話す人にとって、幼児期に最初に習得し、一番自由に使える言語のことである。この二つの言葉が青梅雨の夜の会話の中でとび交った。何か興味をそそられる場面である。例えば韓国伝統舞踊の名手、金利惠さんを囲んで、鎌倉大会の夜に何人かで語り合った。そんな一期一会の座の記憶と受けとることも出来る。 | |
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