藍生ロゴ藍生9月 選評と鑑賞  黒田杏子


月涼し高野詣でのこころ決め

(大分県)秋好 すみゑ

 高野山上での全国大会に、九州大分からはるばると参加された秋好さん。「藍生」の創刊を待ちかねておられて、山好さんとご夫妻で参加して下さった方である。この句に出会って、俳句はその人のこころのかたち、たましいの表現形式なのだとあらためて思った。高野詣で、この言葉も美しくゆたかであるが、夏の月の光を浴びて、そのこころを決めた。想い定めたという作者の気持ちに感銘を受けた。この句を口ずさんでいると、いつしか私も山上の巨きな月の涼やかな光に全身が包みこまれてゆく心地がする。




桐の花桐工房の桐ギター

(福島県)齋藤 茂樹

 愉しい句である。作者の住むのは奥会津の三島町。桐の木が多く、桐材を生かした箪笥その他の桐製品の特産地。その町の町長もつとめる人の句である。桐の中でも最上等の会津桐であるが、柾目の通った下駄の美しさなどが印象に残っていたが、桐ギターというのは新製品であろう。ともかく桐の花の咲くときのこの地域の景観は格別である。




河骨を離ればなれに見る日暮れ
(東京都)木津川 珠枝

 日暮の河骨、印象深いものである。日中のそれであれば、このような世界は生れてこない。離ればなれに、この言葉のうしろに、いつも一緒にということがあるのだと思う。レンブラントの絵画のような、たそがれの光の中に佇つ夫妻の肖像はいつまでも心に残る。俳句という表現形式の力がこの句にはありありと出ている。



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