藍生ロゴ藍生11月 選評と鑑賞  黒田杏子


鈴虫のための小さな茄子畑

(神奈川県)石川 秀治

 それは作者石川秀治さんの畑であるかも知れないが、全く他人の畑であってもよい。鈴虫を飼っていると、新鮮な茄子が毎日必要だ。店で買うよりも、畑からもぎ立てのものであれば、鈴虫はよろこぶし、その美声も一層響き渡るであろう。ともかく、その茄子畑にはぴかぴかの茄子が生っている。鈴虫も茄子も畑の主も、そして作者も幸せである。



尋ねきて桔梗の丈高き家

(神奈川県)岩田 由美
 このごろ思う。桔梗や女郎花の丈が昔に比べてその丈が高くなっていると。改良されたのか、土の肥料がよくなったのか、ともかく総体にみな丈が伸びたようだ。この句は庭に育てられた桔梗である。由美さんがその花の丈に目をとめて、玄関の前に佇んでいる様子が思われる。佳吟だと思う。



水中花とり残されてゐたりけり
(埼玉県)寺澤 慶信
 とり残されているのは水中花。しかし、作者は忘れ去られてしまったように瓶かコップの水の中にひらいたままのその花に心を寄せてゆく。自分が元気で疲れも知らず、ひたすらに走りつづけていた頃には知ることのなかったしみじみとした想いである。水中花の有様と自分自身の現在を重ねて、このように詠み上げることが出来る力をいつしかこの作者は掌中にした。俳句はお遊びではない。


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