藍生ロゴ藍生1月 選評と鑑賞  黒田杏子


名月の長寿の村でありにけり

(東京都)鈴木 誠一郎

 その村は作者のふるさとなのかも知れない。ふるさとであろうとなかろうと、その村には長命の人々が数多く暮らしている。空気は澄んでおいしく、水も清らかで、野菜も果実もそれぞれにその土地ならではの味わいを持っている。そんな村。おそらく都会からは離れた、もしかすると過疎の村であるかも知れない。ともかく、その村はいま仲秋の名月の光につつまれている。人々は寝しずまり、人家のともし灯もすでに消えているかも知れない。作者はひとりその村に佇ち月を浴びている。



火をひとつ残しておきぬ後の月

(東京都)栗島 弘

 灯をひとつ残しているのではない。残されてあるのは火である。十三夜の月が照りわたる。後の月の光は仲秋の月の何倍も強く感じられる。地上に暮らす人間の暮らし。その火は何の火かは分らない。しかし大切な火である。美しい火である。遊行寺の行事、一つ火などにも想いが及ぶ。十三夜の句の秀作だ。



満月や庭木に山の記憶あり

(東京都)伊藤 通子

  この作者はいまぐんぐん伸びている。句作のある核心をつかんだのではないか。自宅の庭に何本かの樹木がある。その木がいま月光を浴びている。ふと、その中のある木が昔、山の木であったことをおもい出す。山に自生していたものを移植しているのである。その木を月の光につつまれて、山中の記憶を噛みしめている。そうにちがいないと直感した。俳句は理屈ではない。知識でもない。もちろん解説でもない。感性と直感による即興の詩ということをこの句から思い知らされる。


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