今週の特設コーナー
「現代催眠入門〜深層アプローチの技術」(1993年版)より
禁無断転載のこと

■ 現代臨床催眠と催眠術の違い
代的な臨床催眠は臨床心理学を基礎として行う心理的援助の技術ですから、テレビなどでご覧になる催眠術とは、その目的や方法も全く違うものであることはいうまでもありません。また、伝統的な<催眠>療法とは、援助という目的では共通していますが、その具体的な方法についてはこれもまたかなり異なるものがあります。
そこで、現代臨床催眠とそれらとの違いから、まずお話ししていきたいと思います。
 現代臨床催眠の本質を、伝統的な催眠法との違いにおいて考えるとき、まず第一に現代臨床催眠では、<催眠>の本質を「コミュニケーション」としてとらえるということです。つまり、人と人との関係性に着目し、「<催眠>とはコミュニケーションである」ということを強調したいのです。古典的な催眠法においては、相手に対して、どう<催眠>をかけるか、ということがもっぱらの関心事でした。そして、当然ながら、そこでは相手が<催眠>にかかるか、かからないかという結果のみが取りざたされてきたのですが、実際にそのレベルでこの点に努力を集中してきた古典的な催眠術が、皮肉にも、同時に被ってしまったつまずきというのは、かかる人もいるし、かからない人もいる、ということでした。そこでかかる人は<催眠>の感受性が高い、かかない人はそれが低いか、あるいは、ない人というふうに考えて、かからない人については<催眠>の適応ではないというふうに処理してきたのです。
 
ると、ここで注目されているのは<催眠>をかけられる当の被験者だけであって、いわゆるかける側はいったいどうであったのか、そして、かける側とかけられる側の相互の関係はどうであったのか、そこで何が起こっているのか、何が進行しているのか、については、ほとんどと言っていいほど注目してこなかったのではないでしょうか。いかに「かける」「かけられる」といっても、それは二人の人間関係である限り、そしてすべての人間関係がそうであるように、一方通行の関係というのはあり得ません。それは被験者のただ一人の反応、個人的反応だけではなく、少しレンズをひいてみればすぐにわかることですが、催眠者と被催眠者の相互作用としてとらえられること、また、そこにこそ<催眠>のプロセスがあるという事実が、ここにくっきりと浮かび上がってくるのです。<催眠>というものは、今まで言い習わされてきたように単なる一方通行ではなく、両者の相互関係の中にあるのだというふうに了解することで、皆さんの<催眠>というものの認識はきっと広がるはずです。
ころで、 相互関係とは、何かについて互いに影響し合う、ということですが、これは、お互いの無意識に影響し合っていることです。お互いの無意識が交流し合うような形で二人の関係が進行していくのです。そして、そういうふうに考えていくと、<催眠>というものの本質が改めてよりはっきりとしてきます。また、そういうようにとらえると、<催眠>的なプロセスというものがもはや、特殊な状態ではなく、普遍的な場面の中でたくさん発見できるものなのだ、ということもわかってきます。つまり、いま私達が言っているように、<催眠>というものを、相互の無意識を巻き込んでいくものととらえていくならば、それは、ただ単に催眠術師と被催眠者というような関係にとどまらず、どこでも、さまざまな場面で見い出しうるものだということがわかるからです。実際に、我々が生活する場面で、人と人が出会うとき、そして、その二人がどこかでお互い深い影響を与え合う関係になったとき、そこには、深いコミュニケーションが進行していると言えますが、これがまた、別の言い方をすれば、催眠的な関係が発生しているといってもよいのです。つまり、その二人は、お互いに相手の無意識に深い影響を与え合うという関係を持つことによって、<催眠>的なプロセスを、意識しないまま作り上げているということが言えます。
<催眠>はコミュニケーションだといったこと、あるいは優れたコミュニケーションはそれ自体が<催眠>的プロセスをすでに持っているといった理由は、こういう日常場面の中で、改めてその意味を理解してもらえることでしょう。つまり、私達はコミュニケーションをいろんな場面で持ちますが、その中に、こちらと相手の深い部分にお互いに影響を与え合うような関係を持ったそのとき、すでにあなたは<催眠>状態を相手との関係において共に持っている、というふうに言っても過言ではないのです。
 優れたコミュニケーションに、私達はいろいろな場面でたくさん出会うことができます。
 たとえば、有能な学校の先生が、なかなか心を開かない子供達を非常に効果的にサポートしていくといった、そんな場面によって、私達は、その先生と子供との間にみるべき<催眠>的プロセスがあることを発見します。それからまた、会社の有能な渉外担当者が外部の人達との間で、限られた時間の中でよい関係を持ち、そして相手の合意をうまくとりつけていくプロセスを見るとき、そこにも<催眠>的関係を見ることができます。上司と部下の関係においても、あるいは、親と子の関係においても、いわばありとあらゆる場面において、私達は優れたコミュニケーション能力を持った人が誰かと取り結ぶ関係を見つけるとき、そこには、相手に深い影響を与えていくことのできる、ごく普通の人々、しかもその実、優れた<催眠>的なかかわりをもった存在としてのモデルをみることができるのです。
「<催眠>はコミュニケーションだ」ということをもう一度思い出してください。つまり<催眠>をコミュニケーションという文脈でとらえると、たちまち<催眠>の適応範囲が広がるということなのです。昔ながらの儀式的な催眠術においては、日常レベルの生活の中で、援助的な目的において、人とのやりとりの中でそれを使うのはたいへんむずかしい、むしろほとんど不可能であるということにも、とうにお気づきになっていることでしょう。不可能であるなら、<催眠>というのは、ここでもまた特殊な、限られた場面の中で、限られた人に起こしうる現象に過ぎない、という結論にならざるをえないわけです。そして、そういうものである以上、ここでわざわざ私達が<催眠>に関心を持ち、その技術を身につけるという努力をしたところで、報われるようなものはほとんどないとしか言いようがなくなってしまいます。
 ましてや、<催眠>を相手への一方的なコントロールができるものとして、考えてしまうのは、全く事実にあうものではありません。<催眠>こそは真に相手の主体性を尊重した人と人との安心できる深い交流(=深層コミュニケーション)なのです。
<催眠>を援助的なコミュニケーションの中でヒントにするために、それでは、私達にどんなモデルが与えられているかというと、私達のまわりには、本人はそれとは自覚していないけれど優れたモデルがたくさんあります。教師、医師、看護職、各種の治療家、管理職、あるいはビジネスマン。そういった人達が、私達に有効性のあるモデルを与えてくれます。彼らは、相手との関係において、相手の心の深い部分、つまり相手の無意識と深く交流していく、無意識に効果的な影響を与えていく、という意味において、もうすでに援助者としてのすぐれた一つのモデルを、私達に示してくれているのです。
  そういう人達のコミュニケーションのプロセスをよく観察してみると、そこにはいくつかの共通した技術があることに気がつきます。その人達自身もあまり気がついてはいませんが、無意識のうちにその人達自身がつかっている技術の中に、援助としての<催眠>の本質を我々に教えてくれるものがある、ということです。ですから、私達はそれを見つければいいわけです。それはどういうものなのかを確認さえすれば、それが、相手の利益にも合致し、社会的な正当性をもつ目的のものであれば、確認されたその技法はそのまま私達が使うことができるはずです。そしてこれが現代臨床催眠を学ぶうえでの大事な第一歩なのです。    
講座・セミナーのTop  現代臨床催眠について

Copyright(c) Human Growth Center