(C) Photograph by Hirofumi Makino.
 IL SAMARITANO TOJI'S CLUB 2002 年度総会速報!!

 真夏の祭典「イル・サマリターノ トージス・クラブ」総会が今年も盛大に開かれました。
特に今年は、クラブの在りかたを考える議題が持たれるとあっていつもと違う緊張感が漂っておりました。
しかし、そんな心配はどこえやら、まずは恒例となっておりましたゲスト陣のスピーチに皆の関心は集中して行ったであります。
今回のゲストとしては、ほとんど毎回参加されている本田博俊氏(無限 代表)ご夫妻だけでなく、嘗ての浮谷東次郎のライバルであり親友でもあった伝説的な日本が誇るレーシング・ドライバー、そして、我々のヒーローでありました“生沢 徹”氏も参加されるとあって、会は俄然ヒート・アップされていったのは当然の成り行きでありました。また、チーム・トヨタなどに在籍し、現在はモータージャーナリストとして活躍されている“津々見友彦”氏も参加されており、まさに当日のクラブ会場は60年代サーキット・パドック状態と化して異様な熱気に包まれておりました。
 さて、今回のクラブのスケジュールは下記の通りで遂行されました。
 

受付
10:00am

礼拝
11:00am

除幕式&Birthday
12:00-12:30pm 
(東次郎愛唱讃美歌記念碑除幕式 ピーター・ヤング師)

東次郎親友 本田博俊氏、生沢 徹氏の60才のHAPPY BIRTHDAYをケーキでお祝い。
The Birthday Cake Party for Mr.Ikuzawa and Mr.Honda.
 

昼食をとりながらパーティ
12:30-13:30pm (トージス・ルーム1F)

アフタヌーン・コンサート : 13:30-14:30pm 
サクスフォン : 岸 義宏師 (2Fチャペルにて)


 

***************************************************************************
総会
14:30pm〜

開会
会長挨拶
活動報告
会計報告
役員改選
500マイルズ

生沢 徹氏に会える!!

 今回の総会については、このコメントを書かせて頂いております私自身出席の届を出していたにも関わらず、あいにく仕事の関係で急に出席出来ない状態に陥ってしまい、前日まで「なんでこの日に限って・・・」という限りなくブルーな状態でありました。
しかし、神は私を見捨てることはありませんでした。なんと総会当日午後12時過ぎになんとか仕事が一段落したのを見越して私はさっと抜けだし、一目散に総会へ駆けつけた次第です。
とにかく、生沢さんにお会いしなければ一生悔いが残るという一心で会場に参りましたところ、役員の皆さんから「今日は来ないんじゃなかったの!?」などと声をかけられ、「はい・・・。生沢さんは・・・」と全然相手の話を聞いていない状態が自分でも良く分かるのですが、もうどうしようもありませんでした。(役員の皆さんすみませんでした)
そして、会場に入ってみると、すぐそばにIさんとTさんが「よく来ましたね!」とやさしく声を(?!)かけてくれましたが、私は「生沢さんは・・・」の一点張り。一応会場を見まわしたのですが見つからず「やっぱり帰られたか・・・」とがっかりしておりますと、Iさんが「あそこにいますよ。席開いてるから横に座ったら・・・」とおもむろに私をひっぱって生沢さんのとなりに無理やり連れて行かれてしまいました。
 私はこの時点ですでに今日はTOJI'S CLUBだということやここはどこなのかということは全て脳裡から消え去っており、目の前で「誰!?」という顔をしている生沢さんだけをただただ見据えていたという今考えてみると大変危ない状態でその場にいたことになり、今さらながら赤面している自分がここにいるわけであります。
「い、い、いつもホーム・ページでお世話になっています牧野です」と私。
すると生沢さんの顔が急に笑い顔になったのです。
「彼だよ!(私の方を指で指しながら奥さんの方を向いて) どんな人かと思っていたんだよ。とにかくオレよりオレのことを知っているんだから驚きだよね!」と生沢さん。奥さんも驚きの顔をして私を凝視していました。
さらに生沢さんは「最初、友達からおまえのこと書いたホーム・ページがあるよって教えられて見てみたら驚きだよね!
それで仲間に教えたら皆このホーム・ページのこと知っているんだよね」。
そして、さらに私が言葉を挟む機会を与えてくれずに「凄いよね!オレ、ストーカーかと思っちゃったよ(笑)。それでどんな人が書いているかと思って・・・、きっと暗〜いオタクって感じかと思っていたんだけど・・・、やっぱりそうだった!!(奥さんと共に大笑い)。ところで、いつからレース見てたわけ!?」と生沢さん。
「はい。1966年の第3回日本グランプリからです。小学校6年生の時、友達の家でテレビ見ていたら丁度グランプリやっていたんです。それを見たのがのめり込むきっかけでした」
ちょっと一呼吸があったのを利用して、私が今日の為に用意させて頂いた当時私が撮りましたグランチャンを走るTETSUさんの「GRD S72(1972年マスターズ250Kmレース)」と「シグマGC73(1973年グラン300Kmレース)」を四つ切りに焼き回しました写真をここぞとばかりに生沢さんにプレゼントさせて頂きました。
喜んで目を丸くしてその写真を見つめる生沢さんを見て、“あ〜、やっぱり来てよかった!!”と心から思いました。
後で聞きましたら、丁度今回は本田さんと共に60才バースディを皆さんとお祝いしたということでしたからグッド・タイミングでありました。
そして、すかさず1967年発行のオートスポーツ誌6月号(表紙が第4回日本グランプリで優勝した時のTETSUさん)と1971年マスターズ250Kmレースであのポルシェ917Kを駆って出場した時に私が写しました写真に図々しくもサインなどをして頂きました。
改めてこの場を借りましてお礼を申し上げます。
 そして、最後に記念撮影を外に出て頂き、一緒に入って頂きました。
「生沢さん、握手お願いしま〜す!!」とお願いして感激の握手をさせて頂きました。
というわけで興奮の瞬間を過ごさせて頂きました。
しかし、いやに生沢さんの手の感触が柔らかかったなぁ〜。

サインを頂きました!!1971年マスターズ250キロレースのTETSUさんとポルシェ917K、そして、言わずと知れた「第4回日本グランプリ」優勝のTETSUさん表紙のオートスポーツ誌1967年6月号。
 興奮の2002年度TOJI'S CLUBは無事に終わりました。
まさしく興奮の1日でありました。(少なくても私にとってはですが・・・)
来年私は役員改選に伴いTOJI'S CLUBに深く携わらせて頂くことになりました。
なにぶん未熟者で少々大人に成りきれておりませんところにつきましては、どうかやさしく見守って(!?)頂ければ幸いです。また、皆さんの良きアドバイスなども頂ければありがたいです。
また、この「TOJI'S CLUB体験記」についてはこれからも続けさせて頂くつもりでおりますので、どうか今後共よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
2002年8月7日 TOJI'S CLUB会員 牧野弘文 

TOP : TETSU's CUP ?!
(C) Photograph by Hirofumi Makino.

GO TO TOP

GO TO MENU

(C) Photographs by Naofumi Ibuki.
(C) Photographs, textreports by Hirofumi Makino.