The MSL F200 Challenge Cup Round 2 ベテラン田所博史氏の独走で終わった
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2003年2月22日、第2戦目を向かえたMSL
F200チャレンジカップ ラウンド 2 は、第1戦のKYサーキットから場所を移し、深谷の「シャパラル・サーキット」にて開かれました。
レース前の予想では、前回独走優勝したK.K氏が今回諸般の理由で欠席となったことにより、あの68年等々力サーキット第1回12時間耐久レースの優勝者でもあるベテラン田所博史氏が俄然優位という前評判が圧倒的でありました。 しかし、前回に続き不参加を表明していたF200レースの提案者でもある元モデナの雄“白阪氏”が、開幕直前に突如参加を表明したことにより、田所氏の独走予想に待ったがかかり一転して接戦が予想されるレースとなったのでありました。 また、北関東 溝車振興会チームからK.O氏以外にも2名が応援参加することで合計参加者が7名となり、東関東勢との激突もまたレースの焦点で興味津々という感じでありました。 それから図々しくも私も第1戦に続き参加させて頂く事となり少しでも上位に入れればとかすかな希望を胸に現地に赴いた次第です。 |
えっ、予選がある!!
さて、今回の第2戦からは、コース決めの為になんと予選タイム・アタックが行なわれることになりました。
![]() ![]() ![]() TOP : Time Attack of Qualified !! 初のタイム・アタック体験に緊張の参加ドライバーの皆さん!! |
/Q.Time |
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予選の結果は上記の通りです。
やはり大方の予想通りベテラン田所氏のコブラ427が7名中唯一のサーキット1周9秒を切る 8.867 を記録し貫禄のポールポジションを獲得しました。 レースは、5分間スプリントレースでコース順を変えながら7ヒートを行ないその合計周回数の多い順に順位が決まるという内容です。 ![]() TOP : The All Machines at Chaparral. 前方左から私の#11フェラーリ275P、白阪氏の#24フェラーリ250GTO、田所氏の#91コブラ427、S氏の#7マクラーレン・エルバ。 後方左よりS.K氏の#4ロータス30、そして私の#10フォードGT40、K.O氏の#43マクラーレン・エルバ、そしてM.Y氏の#9マクラーレン・エルバ。 |
緊張の第1ヒートスタート!!
さて、インターバルの後、いよいよスタートの時間となり余裕の田所氏をはじめ、間際までメンテナンスに余念のない各参加者などレース前の独特の緊張感が漂います。 ![]() ![]() ![]() ![]() TOP : The All Entrants. |
下の画像は、決勝レース第1ヒートスタート前の各マシンたち。
![]() TOP : Heat 1 Start !! ![]() TOP : Dead-Heat !! It was a Exciting Race !! レースは、やはり田所氏が強く、第1ヒートを32.4周し、2位のK.O氏を半周近く離して1位でゴールしました。 続く第2ヒートでも田所氏は2位に1周ほどの大差をつけてゴールし、その強さを見せつけたのでした。同じモーターでのスピード差はドライビングもさることながらそのシャーシセッティングにも秘密が隠されているようであります。 ところが様相が変わったのは、それまで眠れる獅子の如くその存在が控えめでありました白阪氏が4コースでスタートした第3ヒートでありました。いつものように田所氏がかつての全日本王者であった鳥海志郎氏を彷彿させる得意のロケットスタートで他を引き離しにかかろうとした時に1台の赤いフェラーリが、イエローのコブラの影の如くついてまわり離れないのでありました。いよいよ元モデナの雄 白阪氏の逆襲が始まろうとしているでありましょうか。 しかし、田所氏の勢いを止めることは出来ずわずか1/3周差で白阪氏は2位に終わってしまいました。 そしてその後も田所氏の進撃は止まらず60年代のCAN-AMシリーズを独占したマクラーレンのように首位を守り続けたのでした。 そして、向かえた最終ヒートでは田所氏のイエロー・コブラと白阪氏の赤いフェラーリ250GTOは終始テール・ツー・ノーズの激戦を続けゴールではなんと鼻の差でフェラーリを押さえて完全制覇を達成してしまうのでありました。 |
![]() 上の画像は、健闘良く2位に入賞した#7 H.S氏のマクラーレン・エルバ。今回の敢闘賞受賞であります。 下の#16 S.K氏のエルバは1/25スケールAMT製ヴィンテージボディを使った素晴らしい作り込みのマシンでありました。 順位は、3位と約1周という僅差で4位、次回の活躍が期待されます。 そして、今回北関東の威厳を示しての3位入賞がK.O氏のマクラーレン・エルバでありました。 第1戦での教訓を生かして“さかつうシャーシ”の軽量化に努め、ついに総合3位をゲットすることに成功したわけであります。 |
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The
Total Points Ranking
*Point:
1st 9points, 2nd 6points, 3rd 4points, 4th 3points, 5th 2points, 6th 1point
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KY Circuit 15/FEB/2003 |
Chaparral Circuit 22/FEB/2003 |
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Shirasaka |
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Makino |
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![]() TOP : The winners of F200 challenge cup round 2 at a Chaparral Circuit 左より総合2位のH.S氏、中央は総合優勝の田所氏、そして総合3位のK.O氏。 今回からMSL編集部より賞品が提供されました。また、シャパラル・サーキットからも特別賞として、ゴジラのソフトビニール製頭部ミニチュアが優勝者に贈られました。 さて、レース後の快食(!?)会におきまして、今後のレースレギュレーションの話しが自然と飛び出し、是非「CAN-AMレースをしよう!!」ということとなりました。また、第2戦を終了した「F200チャレンジカップレース」についても次回から65年までのアメリカン・レーシング・スポーツカーに限っていた今までの車種ルールを改正し、若い人なども理解しながら参加出来るということと、60年代の車種の市販されているプラモデル等が少ないという主旨で車種の限定ルールを排除する事になり、改定後のルールとしては、F200モーターによる年代を問わないレース出場実績のある車種であればなんでも出場OKということになりました。ただし、フォーミュラカーやドラッグスター等のマシンは不可。 そして、このレギュレーションにおいて是非参加したいと思われる方々がいらっしゃいましたら御一報頂ければ幸いです。 CAN-AMシリーズ戦の細かいレギュレーションは現在調整中でありますが、1964年から65年のUSRRC(ユナイテッドステイツ・ロード・レーシング・チャンピオンシップ)およびナッソー・スピードウィークを含む、1966年から1974年までのCAN-AMシリーズに出場実績があるFIAグループ7規約(2座席レーシング・スポーツ)マシンであればOKという内容になると思います。また、モーターに関してはF200よりランクが上でありますF100を使用するというのが大まかな内容です。開催時期は6月頃を予定しております。興味のある方はご連絡ください。 |
(C) Photographs
by Hiroshi Tadokoro and Hirofumi Makino.
(C) Text reports
by Hirofumi Makino.